難病キャラバン

亜空間花 / 82

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土岐川祐 2019/05/11 (土) 21:21:48 修正

長くなるので一旦区切り。キム・ジョンナムが暗殺された日に、入院し人口水晶体を両目に入れました。翌年、レーザーで目を洗ったのは以前にも書きました。そして今年は左目に傷。保護めがねをしていたのに、突風が吹いた瞬間、目に何か入ったの。目の面積は狭いのに・・・その後むくみ、朝昼の寒暖差も手伝ったのか絶不調でした。いまさら、連休はいかがでしたか、なんて書かんぞぉぉぉ。

私がいつ発病したのか諸説あり、小学生の時、国道の横断歩道で玉突き事故に巻き込まれ、車の下敷きになっちゃいました。その時のことは良く覚えています。雨の日にバスに乗り「そろばん塾」へいくつもりでした。左右の自動車が停止したので何歩か歩いたら、儀の車の後ろにトラックが突っ込みました。「ぐぇ」と言って、傘が灰色の空に登っていくのを見て、「おかあちゃんが車に気をつけろと言ったのに、ひかれてしまって怒られるぅぅぅ」と思いました。いやいや、子供ですからそんなものです。

私の家は国道の縁で高台にあり父が駆け下りてくるのが見えました。「事故か!誰かひかれたぞ。女の子だ」数人の声がして車の下・・・どのあたりかわからなかったのですが、とにかく車の下から私の手が側溝にとどいていました。その後数ヶ月家で寝たきりでしたが、元気になった後、事故を思い出すとか、車が怖いとか、全くなかった。それでも、「そんな大変な事故でPTSDにならないはずがない」と言う医師もあれば、工員として働いたとき「重いものを持ち上げたり運んだりしたからだ」と言う医師もあり、「妊娠中に髄膜炎で数ヶ月入院したからだ」という知人もありました。

爆発するように体中が痛くなったときはもう良いトシになっていて、よく言われる「冬がつらい」ことはなく、一年中苦しくてたまらない、夏には比較的強かったはずが、冬より猛暑に耐えられなくなりました。それから十数年、今は寒くなるとてきめんにこわばります。自分の道は病気の道、自分のレア病は他人と比較できない、動くほど治るというサイトもあったけど、動くと重力で負担を掛けた部位が激痛になる・・・誰もわかってくれないっ、それで、私は「飽きるほど寝たきりになろう」と決めました。そして10年後の今、前よりは元気になったと思います。

医師の考え方の差や、病状の個人差、苦しみの乗り越え方、ひとりひとりに何通りかの療法があるのだと思っております。耳も、大きな音で倒れるし気候が変動すると共に気圧も激しく変わるのか、高山病のような、ぼわんとした耳鳴りがしたり、目やのどがやたらと渇いたり、全関節ギコギコしたり、とにかくいつもどこか苦しい。「苦しいときはサボるが一番」主婦にサボられた日には家がしっちゃかめっちゃかですが、家族もそれなりに理解してくれるし、まぁ、個人的には楽しく暮らしていると思います。

アウトドア派、インドア派と分ける見方もありますが、私はどちらも好きでしたので、体調と相談して出掛けたり、家にこもって本を読んだり(目が見えるってありがたい)、大好きな庭いじりをしたり。もうご近所の人に何を言われても、堂々と一日庭で過ごしたり。樹木を愛でることは一種の「禅」だと前にもどこかに書いたような・・・たまに、私のブログを見てくださる人が写真や文を褒めてくださるのですが、全般に「比べすぎ」と感じます。私と同じやり方で同じ写真を撮って同じ花を育てる・・・無駄です。私をライバルにするより、「他人を気にしない」のが一番の薬かとおもうこの頃です。

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