難病キャラバン

亜空間花 / 73

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土岐川祐 2019/01/30 (水) 11:38:22

私は、通院する先々で「冬は寒いが悪くならないか」と医師に聞かれる度「さぁ、私は特に」と云っていましたが、昨年から今年にかけて、その意味を実感しました。体が冷え込むと、体の柔軟性が消えて、油の切れたロボットみたいにガクガクになります。それは病名がついたときにはそうだったのですが、その頃は精神科に通院していたので、抗うつ剤と向精神薬を多く飲み、薬が切れたときの「離脱症状」というんでしょうか、そのようにものだと決めていました。ところが昨年から激しく天候が変わり、体調も悪くなりました。マイルームでエアコン、ストーブ、扇風機、保冷剤とカイロ多用。贅沢をしていて、ある日、電気が・・・バッテリー上がり状態になりました。家人に生活費おんぶにダッコの上、家事も任せて楽し放題、少しは節約しようと、エアコンを切り、石油ストーブもつけずに、机で調べ物をして、気がつくと体ががっちがち。

テレビ朝日の「林修のやるなら今でしょ」を見ていると、冬は気温が下がるので、アドレナリンを分泌して耐える、するとアドレナリンを出すのにビタミンCが体内で消費され、ビタミン欠乏症になる、とやっているではありませんかw

アドレナリンを出す、つまり交感神経の振幅があがるってことだなぁ、とおもいつつ画面を見ていて、あっ、と思いました。入院したとき廊下に貼ってあった「笑顔で良くなる」ポスターですっ。無理矢理笑顔になっても治りません。心から笑うと「副交感神経」が上がります。私が思うに、甘いものを食べる、暖かくする、好きな時に寝転ぶ、楽な服装などは福子雲神経が働くように感じます。笑いで病を治すのでは無くて、自分が楽しいと思うことが必要かと考えました。

寒いと悪くなるか、という医師の言葉は意味がわかりませんでした。どうして寒いと悪くなるのか、素人ですから理屈がわからない。占いか精神論のように、寒いときは頑張らないと悪くなるのかな、と思っていました。寒さを我慢するときアドレナリンを分泌させる。ストレスで活性酸素に対する免疫力が落ちる、そう云ってくれればわかったのに・・・

脳内の伝達物質が働かなくなるという話もテレビではしていました。ここでは物質の名前などは省いて、とりあえず、抗うつ剤はどう働くかというと脳内物質の伝達機能を助けるのです。抗うつ剤は精神病の薬だと思っていませんか?寒いときアドレナリンを働かせるのには「交感神経」を上がらせっぱなしにしてしまうのかもしれないんです。アドレナリンというと、ネットで言えば、心ない書き込みを見てカッとなり、個人的なことならメールで何か書いたりしますね。メールでクレームが来ることもある。するとアドレナリン全開で頭の中が反論の言葉を紡ぎ出す。喧嘩になりますw

スポーツは勝ち負けがはっきりしていて、勝つ為はアドレナリン全開です。そして緊張も全開。練習では出来たのに試合では出来なかった、良く耳にしますね。フィギュアスケート選手の宇野昌磨さんは、東海三県では小さな頃からテレビのスポーツ枠で常に報道されていました。今、トップ選手になり、昨年のオリンピックで知った人も多く「宇野語録」なるものが飛び交っていました。あれは前後の脈絡を省いて彼の言葉をクローズアップ、おもしろおかしくコメントをつけられたのでああなりました。

その宇野選手が昨年の全日本で優勝しましたが、怪我なども「試合が終わるまでは言えない」と云ったことで話題になりました。ほかにも「試合で結果を出せないのは、練習してきた自分に失礼だ」とも云っていました。フィギュアは好きな人と興味の無いひとにすっぽり別れるので、ご存じない人も多いと想います。練習では出来たのに試合で出来ない・・・緊張とプレッシャー、それまで羽生選手という超人気実力とも一番の人がいつも居て、その影で本人的には「プレッシャーをさける」ことが出来たのだと想像します。アドレナリンの分泌が良い方に転がって、試合で四回転の連続ジャンプが出来るか出来ないか、シーズンを通して他国への遠征で時差があったり、異様にマスコミに騒がれたり、また滑走順で氷の状態が悪くなったり、会場自体が氷の仕上がりが変わっていたり。体操競技や水泳、マラソンなども、環境と偶然に左右されやすい・・・ゴルフもそうですね。そういう競技は不動のチャンピオンが生まれる確立は低いと思います。

私からすれば子供の年齢より下なんですけど、宇野選手の「練習してきた自分に失礼だ」という言葉が胸を打ちました。私のブログは人生論風の「How to」自分、的なブログ運営のヒトに単発で「いいね」されます。自動的にアメーバ登録しているヒトに「いいね」しているのか、私のサイトがレア病に触れているので勧誘なのか、よくわかりませんが、ああいうものが悪いとは思わないけれど、「自分に対してこうしよう、ああしよう」と云われると私たち病者は、多少の反発を感じます。「今以上にがんばれないのにどうしろと?」と思います。

私について書けば、「他人の『How to』は真面目に調べたり、返信したり、考察してきた自分に失礼だ」と思うのです。「人に優しい」「自然に優しい」と唱えるのは傲慢では?多くの人生論より、二十歳の少年か青年か、の一言の方が響いた・・・恐るべし「宇野語録」

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