難病キャラバン

亜空間花 / 69

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土岐川祐 2019/01/05 (土) 21:59:18 修正

今日は膝に注射したので、「シャワーだけにしてね」と看護師さんに言われました。つい、「わたしさぁ、普段から湯船に入らないのよね・・・少しでも風呂桶に入っちゃうと、立てなくなっちゃう、水圧かなあ」ってこぼしちゃった。「ああ、水圧がなくなると苦しいかも」と相づちを打ってもらったので勢いづき、「水泳めいっぱいしちゃうと、プールサイドに上がってから体が重くなるじゃないですかぁ。あれがキョーレツになったカンジ」と言うと「それは・・・リハビリしか無いですね」とお返事してもらっちゃって、さらに「リハビリ、入院したときやってさぁ、二日目から動けなくなった」「それはー、動きすぎですね」という内容になりました。

振り返ると、医師や医師から売りつけられた本や、「動けば動くほどよくなる病気」伝説で痛い思いをしたワタクシ、他人が勧めることはやらない方です。バランスの良い食事、してない。運動、してない。趣味をもって、もうできないよ。リズムのある生活と日光浴を、昼過ぎまで寝てるぅ・・・といった調子です。これ書くとヤバイかな。相談員さんに健康グッズ勧められて断りました。市の委託なのに、社協の人なのに、レア病の人に健康グッズって、やっちゃあかんのでわ・・・実はこれ、市役所にチクったの・・・反応なし。問題定義されちゃ困るのね。わかるけど、理想論かもしれないけど、公僕、準公僕の立場で、温熱療法などのグッズ販売、やっちゃあかんよ・・・

この病気は個人差があり、私とは真逆のやり方で上手くいく人もあると思います。とりあえず、その時々で、やりたくないことは「しない」だけ。趣味も好きなことも、個人差があるので、自分に合っている生活が一番かなとおもいます。

私は疲れちゃったのだと思う、ずっと、物心ついたときから、周囲にあわせていた、それでも誰も満足しない、これでもかこれでもかって「他人にあわせる」ことに力を使い切ってしまったのでした。ブログに書いていた、私と比べて優秀な幼なじみが近年他界されました。私から見ればまぶしすぎる優れた人美しい人だったのに、人生の幕をご自身で閉じて仕舞われた。しかもそのことを誰も知らずに、同窓会の連絡が来て対応していてわかりました。同窓会の病欠はどうでも良いんですけど、親しい人も居なかったし・・・彼女がもうこの世にいないことが、信じられなくて・・・私がだめだめな自分をシャットアウトしていたとき、彼女は「優れていると言われ続けることの痛み」に耐えかねていたとおもいます。「だめだめな自分」と自己卑下するよりも、「期待に応え続ける」痛みのほうが悲しく苦しいことだと知りました。

「優秀で美人の幼なじみ」は、私の知らないところで苦しんでいたのです。同級生と話していたら、誰もそのことは知らず、田舎なので親族の同級生のひとりからわかったそうです。話を総合すると、最後に彼女と話をしたのはたぶん私。それからしばらく、私は動けなくなりました。今でも手が震えます。

その時私を慰めてくれたのは、たまたまアメーバで知り合った人が同級生だったこと。同じ病気であったこと。学生時代には口もきいたことがありませんでした。私はひとりが好きで、団体行動しない性格でした。それでも「土岐川」という名前に引かれて(土岐川は地名)、その人は話しかけてくれました。お互いに出身地や学校の話になり、同じクラスでした。クラスで起きた他愛のない喧嘩の場面、それが同じで記憶で繋がりました。漫画みたいだと思いました。電話で話すと懐かしいなまり、共有の思い出、嬉しくて泣けるくらい幸せで、それだけで元気になりました。

「オレは嬉しいよ、ネットのゲームで知り合って、誰にも伝わらなかった病気を知っている人に出会えて
 それまで孤独だったけど・・・奇跡みたいだと思ったよ」

ひとりひとりに別々の「大切なこと」があれば、それで生きていける・・・
それがお互いに同じもので無くてもかまわないわ!

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