難病キャラバン

亜空間花 / 68

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土岐川祐 2019/01/05 (土) 18:29:32 修正

昨日の書き込みは長すぎるし、今読み返したら誤変換ばかり。失礼しました。まだ見つけていない誤字もあるでしょうが、とりあえず直しました。時々文章が変更されます。誰も読まないからいいや的な緩みあります。入眠剤が利かないと思ってキイボードを打ちまくったのが良くないことでした。

さて、今日は通院の日でした。なるべく新しい情報をと思って、少ない時間ですが先生に質問しています。肺のレントゲンと肺活量の測定をしました。肺活量はどうも容量を得なくて、以前は肺活量年齢八十代でしたが、今回は六十代半ば。二十歳も肺は若返りましたね、うふふ。あれも、看護師さんの合図のタイミングや呼吸の仕方で変わるので、絶対では無いと思われます。そもそも、握力も、スタッフが変わる度に計器の形が変わり、フツウのぶら下げるものだと落とすので両手に持って腕で押しました、今日は小さく軽く握るタイプでしかも、木綿でつつんでありました。木綿の摩擦だけでかなり握力が上がります・・・「あれあれ、前回と違うね」とのたまう先生に、そんなもの、計る度に違うタイプの測量で、診察前に我慢できずにデパス飲んだら上がるとか、ヘロヘロの日に落としたとか、参考にならんと思います」と申し上げました・・・

肺は綺麗で、肺の後ろに骨も写ります。いわゆる竹様までは行くか行かないかの感じなんですけど、肩甲骨の位置ぐらいに、「棘」があるのを指摘されました。それ、前からそうじゃん。と思いました。「棘」は「きょく」と読みます。私の骨の一部は「靱帯棘」があるのです。そんなの前からだから気にしないけど、名前は初めて聞いたので記録しておきます。よそのブログなどを拝見していると、私の知らない専門用語が飛び交っていて「骨棘」があった~(悲)というようなやりとりがあります。これなんて読むんや・・・と思いつつ、その時私はすでに複数の靱帯棘があったことになります。

靱帯棘とは、骨と骨をつなぐ部分が堅くなってとんがること。その影響は医学的な定義が無いとでも言うのか、わからないというのか・・・個人的には、どんな骨になっても気にしないのが一番精神衛生に宜しいかと・・・

八年越しで両足内部が痛み、仰向きで寝てみたいよぉぉぉ、と甘えてみました。そして足首も靱帯棘なのぉ、と尋ねても、先生はムニャムニャ、「調べないとわからない」でも調べないのね、何年でも。この状況は、調べて善し悪しがわかったとしても、医学的に治療する方法が無いことを示していると思います。

私は長く左足膝が悪く、立ち姿で見た目は何ともなくても、膝はくにゃくにゃとよれる感じで、忘れている限りはなんともないのですが、意識すると痛いのです。で痛いと思わない、という論法でやりすごす。でも此処で何か質問しないと、皆様にお知らせすることが無いぞ、と決め、「膝がイタイしくらくらして転ぶ」と訴えてみたところ、それは注射しか無い、と言われ「しろ」とは言われない。採血の時、リウマチの注射もしているのですが、膝か足首か、注射を打つのかわからない。それは自分で決めることなのだと言われたので、やってもらいました。

膝に注射、ちょっと痛いかも、と先生は言う、でも私は怖くないし、痛みも平気な方です。今させ注射ごときで騒がないのです。「ちくっとするよ」しないよ、それからじわっと、骨髄注射をするときのような独特の痛みがあり、くすりを打ち終わる頃には痛みが無いんです。夫も同じクリニックの患者で、足が痛い腰が痛いと注射して、「全然効かない」と言います。しかも「ものすごく痛い」という。

女というものは、しょっちゅう婚家や外の誰かが入院しますので、付き添います。私は子供の頃から病院へ行くと気分が悪くなる方でしたが、いつも病院を出たり入ったりしていると、慣れてくるんです。白内障は重大な病気としての申告はいらないのですが、若年性でも白内障、いつぞや病院で高齢者と同じ手術室で、めんたま、水晶体を取り出して人口水晶体を入れました。器具がめんたまに入る瞬間まで見えている。それも一日おいてもう片方も同じようにします。術後は完全に見えませんでした。それまでは白濁した世界でした。ついでにその時父は「危篤」だというので早めに退院しました。父はまだ生きています・・・

使えてきた親たちは「後期高齢者」なのです。元気で古くさく長生きなのです。それを何があっても付き添い励まし、トイレに汚物を捨て、目薬をさし、汚れた下着を洗う。病院などで貧血を起こしていては生きていけないのですっ

というわけで、自己注射もペンタイプになるまでは、私は左腕の裏側に右手で注射していました。男性の方が針を怖がるとか・・・日本男児よ情けないっっっ←完全に思想的右派っぽい・・・私は思想に興味はありません、一応。

膝に、先生手ずから入れてくれた薬は強いステロイドだと後で看護師さんに言われました。ちゅうか、私は素直なんでしょうか、注射し終わる少し前からすでに膝の痛みが消えている。ステロイドはやはり反対運動されるものですが、こんなに利くなら、毎月でも注射して欲しいのぅぅぅぅぅ ステロイドの多用で代表的なのは「プレドニゾロン(プレドニン)でしょうか。八年前の有名センセがのたまったところでは、「特効薬」です。でもその頃入院して大量に点滴したはずが、私は全く良くなりませんでした。一日リハビリしたら余計に動けなくなって、それでも点滴は続く、ヘタクソだ。「何を入れているのか」と聴くと、看護師は薬の名前を見て「ノイロトロピン」というではありませんか。では劇薬を打つので書類にサインしたあれは何よ、と苛立ちました。ノイロトロピンは以前に通院していた精神科医が「点滴しても利かない」と言っていたのを覚えています。「すらしぼ」だか「せらしいぼ」だったか偽薬効果というものがあります。それなのか、劇薬で痺れが出たので変更したのか、未だにわかりません。

当時入れ替わりに退院するおばあさんが「プレドニゾロンはやめれんよ」と言いました。凄みがありまして、私は怖くなりました。そのおかげか「プレドニゾロン」は服用しても利きませんでした。私は脊椎関節炎でもASでもない、特効薬が効かないのだから、CRPが低いのだから。

でも今日は膝の痛みがあっという間に消えました。「ファルネゾン」という塗り薬で傷むところをごまかしてきたのが、製造中止となり、私は唯一の「痛みの消える魔法」を失った、でも、膝の注射はファルネゾンのように痛みが引きました。たぶん、すぐに、あした頃にはまた痛んでいると思います。ステロイドですもの。なんでも依存する、副作用があると反対するのも、患っている人にはつらいことです。すべてかゼロかヒステリックに煽るより、どうしても痛いときには痛み止めを、誰もわかってくれないと絶望したときは希望を、分かち合う・・・

痛み止めは飲まない、という友人もいますし、気持ちもわかります。それでいけるなら、どんどん鍛えてがんばれる、そういう生き方もありで、私など混乱した気持ちと医療制度と家族にはさまれて、右往左往して薬が手放せなくても、もしかしたら後悔するのかもしれませんが、自分で選んで失敗するなんて、生きていればこそのありがちなことですね。

前回、クリニックのとなりにある心療内科で二月分薬をもらったので、今日は1カ所だけ。梯子するとキツイので嬉しく思いました。考えるに、厚労省が規制しつつある薬から、厚労省がよしとする薬に移行しつつあるのです。厚労省が「よし」としたとしても、何らかのリスクはあるし、規制した薬がすぐやめられるわけでも無い。何年か後には、また別の規制をし始めるかもしれない。農業で、乳牛を規制してバターがなくなり、慌てて作れと言っても、牛はすぐにはお乳を出してくれません。減反された水田を、来年は作れと言われても、水耕菌は毎年耕し水を引かないと死んでしまいます。縦割り行政の数字だけしか知らない人が、数学のようにやめたり作ったりさせて、軒並みソーラーパネルになったように、レア病も行政によって行ったり来たりしているウチに医学は後退するのかな・・・レア病はそんなに財政を圧迫しているのでしょうか。誰か計算してみてくれ・・・

線維筋痛症のトピックに記したとおり、ASは免疫の(全身の軟骨が自分の免疫で口撃される)、線維筋痛症は脳内物質伝達の問題のようです。今日先生にしつこく聞いたので、「土岐川、まだオレを疑っているな」と思ったに違いありません。窓口で治療費を払うとき、脇の戸口から私の方を見ていました。「せんせぇぇぇぇ、注射すごくきいたよぉぉぉぉぉ」となるべく小さめに叫んだら、ものすごい笑顔になっていました。医師は「治った」と言われると嬉しい、と医師のどなたかに聴きました。先生が気分を良くしてくれると良いのですが・・・

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