私が、あ、昨日より楽、と思ったのは五年くらい前です。今更ですがアルファベットのN県で、「他県の患者は断るようにしている」と言われ、私の方から遠慮したとき、かなりのストレスでした。「入院しろ」と勝手に決めてしまい、それほど悪くも無く、まだ動けていた(気分としてはかなり苦しい)のに、通院で診察中に決まったのです。着替えもないし、お金もないし、空きベッドも無いの。外科の急ごしらえベッドに入れられて、同室はおばあちゃんばかり。しかも手術あとの入院なので気分は元気な上に、田舎独特の「せんしょう」(僭越に口を出すことで標準語です)で、歩き方や食べ方トイレの回数まで数えて、トイレの中まで様子を見に来る、膠原病科に至っては、カーテンを開けて、私がポータブルトイレで使用中なのに、一方的に話しかけてくるんです。みんな滑車のついた手すりみたいなので移動しているのに、私だけ歩いているから。興味津々なのです。私は他人のことは気にしないし比べない。それに前に捕まって歩くのは良くないと思っています。足を包み込んで安定する靴を履いて、地面と仲良しになる、バランスをとって、体幹をまっすぐに移動する。これは後に大変役に立ちました。ところが、他人のトイレ中に私の履き物を履いて「私はこんな履き物、手に入らないわ」通販で。「やり方がわからんわ、歳やで」じゃ、地元の靴屋で注文すれば。「近所に靴屋が無い」何を言っても私のベッドから離れてくれない。一事が万事で、私はストレスをためまくり、逃げようとして捕まり、無理矢理退院になりました。その時には、おばあちゃん達の幼児をこなしていくうちにヘロヘロ二なり、車いすにもたれることが出来ず、車いすに乗せられるとずり落ちる状態でした。ステロイド点滴は全く効かず、ストレスからか、しびれたり、異痛症がひどくなり、看護師の服がかすると飛び上がるほどの衝撃を感じました。横のベッドからうなり声が聞こえて失神しました。そしてまた通院が始まり、行く度に「他県からは減らしている」云々、センセの愚痴を聞いて帰る。入院時の点滴はノイロトロピンになっておりました。最初からノイロトロピンなのか、途中からそうなったのかは不明です。高額な入院費…私は他の患者の面倒を見たので給与くれ、と思いました。それから三年後に今のセンセに出会ったのですが、それまでは隣町の診療所で、診療所なりの保険点数で、お薬をいただいていました。いろいろと飲むものを変えましたが、どれも駄目で、飲まないものだから大きな袋に貯まり、それを診療所の診察室に持って行って「返します」と言いました。そのようなことで、「最後の最後に飲む薬」と言われ「トラムセット」を服用しました。全身のお肌がかゆかゆになるとか、誹謗された気がしてハルシオンやデパスを一気にやめてのたうち回ったり、「断る」と言われた病院へ匍っていき、直訴したり、挙げ句発作を起こして救急車、この地方は、救急車の受け入れを拒否します。なんでかわかりません。「断る」言われた病院に運び込まれて、放置され、家人は医師に「治療法は?」と訊かれました。どん底。
それまで無邪気に、病気になったら医者が治してくれる、と思っていた私は、健康だと思っていて、保険料だけ天引きされて、医者に行ったことなど無かった日々を想い、病気になった途端、病院から、市役所から、県から、保健所から冷たくあしらわれる。クレーマーと言われる。ひねくれました。人生初の反抗期だわ。
そして、かゆかゆを花粉症の薬(ステロイドが入っている)を飲んでやり過ごした、そこから、気分的にはかなりの元気になったのです。そしてもう一度県内の病院を回り、診療所で紹介状をもらってまた回り、初診の先生に話して、予約してから別の先生にいちから話す。「かかりつけ」の医師などいなかった健康な人は、病人ひしめく医療界に入る隙間は無いのです。今の行政で、薬を制限し、ドクターショッピングを否定し、紹介状と初診の高額な費用、初診で一日使い、やっと予約する権利ができる、というシステムが、逆に医療費の無駄を作っているのがわかります。
かゆかゆは完治し、広い総合病院は歩くとヘロヘロになるので、車いすで移動し、県内では大きな病院の、名古屋方面から来た脊椎専門医に、「オレならば手帳取り上げる」「車いすなんか要らん」といわれ、『一日待たして予約して三ヶ月目ににやっと診てもらえたのに、診るのでなくて罵倒かよ、私も入院させられたとき手帳が欲しかったよ。今の手帳も正規の申請で取れたのよ』と言いたかったけど、くだらないから紹介状を書いてもらいました。宛先は、N県・・・私を追い出した県へ紹介状を書かれた。N県特有病だな、と考えました。そしてまたとおーーーーーーい元の病院へ行き、センセは、走ってきて、別の県にあるクリニックの一覧を私に見せて「どこがいい?」と言いました。この県じゃ、もう絶対医療機関では相手にしてもらえないとおもいました。それで一番近い隣の県を選びました。まだ、そこが引き受けるかどうかもわからないのに、そのまま帰宅するしかありません。そして「紹介状」は別の日に、取りに行かなくてはならない。郵送はしてくれないのです。頼みに行くのに六時間とガソリン代と高速料金、書類を取りに行くのにまた同じことのくりかえし。
殺意を覚えました。実行しなかったのは、体が弱くなってできなくて、センセはまだ生きていて、独立してクリニックを開設したようです。その頃ですね、「通院していた先生が退職しちゃった、病院ありませんか」の書き込みばかり。少し残して大方消しました。自分でなんとかしようと思わない、何故? ネットで偽情報流すな、と書かれたり、病院どこですかー、と訊かれたり。心の中は波立ち、私の理性は難破船寸前!
人間は勝手だ、人間は信用できない、人間は薄汚い、そんなことばかりおもいながら、ブログできれい事を書き続けました。苦しくて、バラエティーなど診たくも無い、グルメ旅なんて関係ないし・・・でも耳鳴りはひどくて、テレビがしゃべっていないと気が狂う。そんなこんなで、CSのアニメばかり観ました。途中からは、目が白濁して見えていませんでした。点滴はステロイドだったのでしょう。効果が無いと直訴したのでノイロトロピンに変更した。私には黙っていた。訴えてやりたい、元のセンセ。でも難病治療での災難は、訴えの対象外です。どこまでも弱いものを叩く医療制度。
テレビアニメは朝から晩まで血みどろで、『進撃の巨人』でクライマックス。人間が食べられている。良い気分。その後原作に興味が出て、レンタルで読みました。頁を捲る手が痛むので、なるべくアニメが良いんですけど、アニメと漫画は別物なので。痛みを押しても読みたい魅力が何か、自分でもわからない。
紹介先のセンセは朗らかで、すでに同類で埋まっていました。私は車中で横になり順番を待ち、受診して、一年後にずっとねがっていた「ヒュミラ」をいただきました。ヒュミラはすぐ効く、というブログを読んだからです。副作用とか反対運動とか、どうでもいい。薬が効いている間楽ならそれで良い。間質性肺炎になろうが、依存症になろうが、楽になるなら何でも良い。ネットの人たちがわーわー書いているベンゾ系もトラムセットも、ヒュミラが効けば要らなくなる、・・・でも、効果はありませんでした。すぐには楽にならなかったのです。二年ほど、二週に一度打ちました。自己注射なので、自分で加減して打てる。皮膚に穴が空いて針が吸い込まれていくのを見るのは楽しい。多くの人が腹に打つそうですが、私は二の腕に注射していました。上手に手に持たせて、工夫しながら痛点を避け、注射器を押すときの手の不自由さも乗り越えて。しかし、都市部ではその時すでに「ペンタイプ」のヒュミラが使用されていました。東海地区、残り物多いな、でも注射針が見たいな、ペンタイプだとおなかしか打てないし、ボタン式なので打ち始めると加減も出来ない。世の中のぶきっちょなやつらのせいで、でかくて邪魔なペンタイプの注射器になった、怒りまくり。それにみんなが「ヒュミラ何回目」と、打った場所やその後の経過など、細かく記録しているのにも驚きました。私は記録するものも廃棄する袋もいただいていなかったのでした。大変失礼ながら、ヒュミラ何回目と数えている人を、細かい、神経質そう~と言っていました。独り言ですけど。そっか、記録ノートをつけるようになっていたんですね。私はもう何本打ったかわかりません、気にもしません。
国の指定難病になる以前、県外で高額医療を受け、受領書を市役所に提出して、次の月にその額を振り込む。市役所の担当から「金儲けしている」となじられ、県庁などに不当な発言だと問い合わせすると「実際にそういう人がいるんです」と返される。それでしばらく、自己注射を中断しています。その後指定難病になり、国が支払うようになり、市役所もご機嫌なので再開しました。「あんまり、打ったりやめたりしない方が良いよ」と看護師に言われました。そんなこといってもさ、この県と違うのよ、とひとりごちる。そして、ヒュミラの効果はなくても、毎月の採血の結果は良くなっていきました。
「はやくヒュミラの日こないかなあ」ってよそのブログを拝見して、そういうもんなの?わたしもうええわ、何回目か、どうでも良いし、いらつくわ、おもいました。ごめんなさい。
そとて私は知らないうちに、車いすから滑り落ちることは無くなりました。前より元気。ただ、転びやすくなり、歯医者の診察台から滑り落ち、少しの段差でばったり前に倒れる。文章を打ち終わり、パソを閉じて、立ち上がった瞬間、きりきり腰の筋が・・・ぎっくり腰的に・・・曲がったまましばらく伸びない腰。ボキバキする、この特徴が顕著で、むくみ、しびれる。ああ、やっぱり私は病気だった、っと納得できた・・・かもしれない私。