前のツリーでも書きましたが、モンハンの希少種の歴史の深さ(浅さ)に対して、前代未聞という表現は少し大袈裟と感じます。
前代未聞という表現に対して、絶対的な反対(前代未聞という表現は間違っている)でも消極的な反対(前代未聞という表現を使わなくても良い)でもなく、積極的な反対(前代未聞以外の表現がモアベター)という立場です。
以下、前のツリーで流れた意見に対しての自分の意見を述べます。
>> 6114
それは「烏合の衆とは烏が集まった集団の様に纏まりが無いことである」に対して「【烏】という言葉が【集まった集団の様に纏まりが無い】という意味だなんて聞いたことがない」と反論するようなものであり、誤解に基づく反論かと思います。
>> 6115
もし「前代未聞という表現を使いたい」と「前代未聞以外の表現を使いたい」という意見が衝突した場合、それは仰るように主観の問題なので、お互い「いかに前代未聞を使いたいか(使いたくないか)」と共感を求めつつ妥協案を探ることになると思います(その場合は管理人裁定の現行記述の維持に落ち着きそうな気がしますが、一旦置いておきます)。その際アピールの一環として、仰るような「他の前代未聞が使われている記事ではどうか」を参考にすることがあるかもしれません。しかし他の根拠でアピールしても良く、必ずしも他の記事の調査が必須ではないと考えます。
また、もしも「前代未聞を使っても使わなくても良い」とお考えであれば、そもそも意見の対立は無いと思います。対応が変わりますので、スタンスを明示頂けると幸いです。
>> 6121
「仰々しくない」とお思いなのは分かりました。「なぜそう思うのか」の根拠も書いて頂けると幸いです。
因みにこちらが大袈裟だと思う理由として例え話を(やや極端な例ですが)すると、1年に1回しかケーキを焼かない人が10回目に失敗したとして、「10年間ケーキ作りに失敗しなかった人が失敗した、前代未聞の事態だ」とは言わないと思います。
ケーキはケーキでも「1年に1回、数百万人が見守る中焼き上がる大作ケーキ」であるならば十分に前代未聞では?
ケーキの例えはあくまで「件数の多少は前代未聞という表現の適不適には関係ない」という理屈への反論なので、事の重大さの評価とはまた別の話ですね。
仰る例であれば、「数百万人規模に相応しい万全の体制で焼いたケーキが失敗した」のか「これまでの9個は苺ケーキだった(そして見守る数百万人は今回も苺ケーキだと思っていた)が今回はチーズケーキだった」で重大さは変わると思います。
後者の例でも前代未聞という表現を使うか、希ミツネの件は前者後者どちらの例に当てはまるか、ではどうでしょうか。
後者の例でも前代未聞という表現を使うんじゃないですかね。
>> 6199
独立した別々の要素が偶然重なったならその通りですね。ただ希少種が実装されたのと、亜種を飛ばして希少種が実装されたのを別々に切り離して評価できるものかは気になります。
>> 6200
自分は「去年までは苺ケーキだったのに今年はチーズケーキだなんて前代未聞の事態だ」という表現にはだいぶ違和感を覚えるのですが、こればかりは主観の問題なので白黒つけるものでもありませんね。
1つ妥協案の提案ですが、「前代未聞の事態であり」という表現は維持し、その前に「通常種→亜種→希少種という実装順を当然と思っていた人にとっては」という枕詞をつけるのはありでしょうか。相当の衝撃があった事は明示しつつ、通→亜→希の流れを踏まなくとも大したことではないと思う人がいる事を汲んで頂きたいです。
もちろん引き続き別の表現を検討することにも反対はしません。
>> 6206
わざわざ書く必要があるかないかで言えば前代未聞という表現を使う必要は無く、単に「今までないことであり」と書けば今までないことである事は伝わります。それでは足りない、凄く驚いたというフレーバーを伝えたい為に前代未聞という表現を推す方がいるのではないでしょうか。
今はそういったこだわりを突き合わせてお互いに妥協点を探る段階と考えていますが、それを踏まえても「それは書くべきではない」とお考えでしょうか。
前回のツリーでもおっしゃっている方がいらっしゃいましたが、この程度の編集は本来議論を通さずとも問題なく、人知れず編集されて流れていくような案件なのではないでしょうか。
ただそこに荒らしに近い編集者が入ってしまったがために改変したい人も維持したい人も「前代未聞」という表現にとらわれすぎているのではないかと思います。
亜種を飛ばして希少種が実装されるという状況に対応する表現としては「前代未聞」で十分だと思いますし、「異例」「前例がない」「史上初」などいくらでもほぼ同義の言葉は挙げられると思います。
自分は上記のどの表現でも違和感は抱きませんが、それは各個人によって様々であると思います。
よって「前代未聞」という表現を使うか使わないかという二者択一になっている現状では多数決でもしない限り議論は決着しないように見えます(他の表現を模索するというのも事実上「前代未聞」を使わない択の内ですし…)。
やはり前回のツリーで議論が荒れたことが事態が拗れた原因でしょうし、この表現についてはまだしばらく触らないでおくのが良いと私は考えます。
それもそうですね
>> 6214
いつまでも話が紛糾して終わらないのではないかと不安を抱かせているであろう事は申し訳ないです。言うほど話が進んでいない訳でも終わりが見えていない訳でもないので、もう少し猶予を下さい。もう数日も進展が無ければ流石に考えます。
>> 6215
その「それもそうですね」は表現を変えようとしている側が言うことであって、あなたがそれを言うのは不思議なような気がします。
とりあえず、いるかいらないかではなく反対かそうでないか(反対なら対案も)を書いて頂きたいです。繰返しになりますがこちらは「前代未聞という表現」は「いらない」と思っています。その上で互いに妥協できる点を探ろうとしての提案である事を考慮頂けると幸いです。あるいは「一切妥協はしない、現記述を守り抜く」とお考えでしょうか……?
貴方に主張があるのは分かりますが、理屈云々以前に、コミュニティに所属する側として管理人氏が出した裁定には従うべきです。
>> 6196
>> それは「烏合の衆とは烏が集まった集団の様に纏まりが無いことである」に対して「【烏】という言葉が【集まった集団の様に纏まりが無い】という意味だなんて聞いたことがない」と反論するようなものであり、誤解に基づく反論かと思います。
前代未到という四字熟語自体が前代(以前)において未聞(聞いたことがない)という単語の組み合わせです。
「前代(以前)という単語自体に件数が多いか少ないかというニュアンスはない」ため「前代未聞は「前代」が長く、大きい事を前提として、その間一度も無かったという異例さを表現する言葉だと考えます。」という論説が間違いと言う意味です。
「前代未聞」という単語に誰がどう感じるかというのを前提にする話ではないため、「少ないから前代未聞と言う単語が不適切」ということはないと思われます。
>> 6196
もう少しわかりやすく話すならば
烏合の衆はそもそも「集まった集団の様に纏まりが無い」ということを表す「比喩表現」です
前代未聞の意味は「前例がないこと」であり「「前代」が長く、大きい事を前提として、その間一度も無かったという異例さ」を比喩するために作られた熟語ではありません。
それが違う、前代未聞と言えば前代が大きいのが前提だ、と仰るなら
管理人氏が仰った「前例がないのは事実であるため、「前代未聞」の記述を認めます。」というお言葉を1から踏み倒した上で相談を始めることになるのではないでしょうか。
>> 6196
管理人氏の裁定は後から出てきた話のため、説明の仕方が結果論になってしまいましたが
要するに
「前例がない状態であれば前代未聞という表現をする」という一般論が存在するということです。
「前代未聞=前代が長いことが前提」という貴方の主張がどうしても揺るがないので議論が進展しておりませんが、一般的な認識ではそうではないということも普通にあり得るということです。
仮にどちらも一般論としてあり得て、どちらの一般性を尊重すべきかといえば
イーブンならばサイトの代表である管理人氏がおっしゃったほうを優先すべきでしょう。