ペナトピ・Deracine版

セイバーメトリクス・データ・統計・確率 / 13

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USA 2022/05/06 (金) 19:16:40 修正

セイバーメトリクスというのは、何も正教でもなんでもなくて、セオリーと称される様々な「口伝」や「経験論」が、果たしてどれほど正鵠を射ているのか?という素朴な疑問から、じゃあ、野球の歴史を最初から見て、できるだけ例を集めて、検証してみようという実証・還元主義的姿勢を適応しただけのこと。色眼鏡をかけてみず、興味を持てばその部屋に入って、さらに奥の部屋に進んでゆけばよいだけのこと。

同じ疑問は、多くの人が持って当然。それが、科学的姿勢の基本だから。「疑う」ということ。しかし、「疑う」だけでは、原動力にはなっても、それが既存のものに並立する体系を生み出さなければ、成果はゼロに過ぎないよね。テーゼに対するアンティ・テーゼもそこに留まっている限りは創造ではない。

かつて、Standさんの様々なスレッドで、統計値やスタッツを「知っている」人たちは数人いたけれど、百科事典的で、「これはこう」「こんなものがある」という蘊蓄に終わっていて、いわば「科学好き」の素人の段階で止まっていて、「ァ・プリオリに他人をうのみにしたり、他人の成果を使う」だけじゃなくて、「じゃあ、そのスタッツの意味するものは何」とか、「何故そのスタッツが重要なのか?」とか、「別の考え方はなにのか」と能動的にどんどん奥の部屋に入っていこうという人は、あんまり見なかった。

標本を集めて、そこから、傾向を読み取ろうというときには、当然統計的な有意性も問われる。好む好まざるにかかわらず、サンプリングという行為を行っているのだから。科学的なアプロオチは、方法論の習得が前提で、外国語を話そうと思ったら、語彙を最低数百覚え、文法の基本を理解することが避けられないのと同じ。でもそのプロセスが楽しいと思えるんだけれども。

最初は五里霧中なのが、薄紙をはぐようにドット(点)がつながり始める。子供のころ、星座の本を何日も何日も見ていて、形を暗記・認識してある晩空を見上げたら、突然星座が「見える」ようになった。あの時の感動は忘れられない。

まあ、そのうちそういう人が、ふと開いた時、「おや」と思えるようなことを書き記すことができるかな?

数年前、どうしても人生時間が足りなくなって、プライオリティーを整理して、ホビーだった、野球統計は、捨てることにした。そこから事態はあまり変わってはいない。戻って、単にスタッツを読むだけでなく、現存しない別種の解析方法なんか(例えば、多変数クラスタリングを使った打者や投手の分析を昔やりかけていて、あれはあまり他に実行しているセイバーメトリシャンがいなかったから、伸ばせるアプロオチだけれども)を推進したい意欲だけは残っているんだけれどもね。

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