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哲学的雑談 / 9

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詠み人知らず 2019/06/23 (日) 18:08:28 >> 7

>> 7
仕事と遊びに夢中でこのサイトの存在を忘れてました
すみません

いや嘘です
記憶の片隅にはずっとありました
すみません


◆罪の意識について

遺伝子的に相互補完関係が強い相手が放つフェロモンは特に魅力的に感じる・・・みたいな話はよく聞くけど、逆パターンの親近相姦についてはどうなんだろうな
自然界においては、イヌネコ然り、他にも代表例としてハムスターなんかは平気で近親繁殖しまくるし、かくいう俺自身も「その相手が近親関係だと知らされていない」って状況下なら全然イケちゃう気がする
俺は異性の兄弟姉妹がいないので想像の話になっちゃうけど、そういうの本能的に察知できる自信ある?
俺は無い・・・カワイければ尚良しまであるw

殺しとかに関しても、人類史をさかのぼれば人間をモノとして扱う奴隷制度なんてものが当然のように存在してたわけだ
根源的な罪の意識や拒否感・忌避感といったものも土台としてあるにはあるのかもしれないけど、後天的に刷り込まれる社会的価値観によって容易く上書きされるものだと俺は思う


◆割れ窓理論

当初は尾崎豊ネタでも添えようかなとか思ってたけど、ブラックジョークみたいな意図は一切ないw
>> 3は粗相しちゃったけど、本来あとに続く内容としてはデュルケームの社会学と比較するつもりだった

割れている窓があると治安が悪くなるという割れ窓理論、内容としては「通り魔が出てしまう前に窓を直せ」みたいなもんで、通り魔を減らすためには割れた窓を放置することを法で禁止(法を厳重化)すべきだというデュルケームの考えと一致している部分もあるんだけど
デュルケームが社会的事実を軸にして現象と向き合っているのに対して、割れ窓理論の趣旨はどちらかというと自己規制意識などの心理学的な領域に腰を据えているという違いがあるんだ

窓が割られていたりゴミがポイ捨てされているのが視界に入っていると、引ったくりや車の窃盗などより重度の犯罪を試みる人が現れやすくなる・・・といったように、割れ窓理論では犯罪の重大性として『小→大』の流れを見ているのに対して、デュルケームは法の整備(秩序の水準)が進めば進むほどネクタイの曲がりなどが取り締まられるようになる『大→小』の流れを見ている
社会的事実を軸にするか心理的要因を軸にするかによって、似ているようで似てない異なる毛並みが出来上がってるわけなんだ

別々の価値観が「衝突しようがない」という意味で犯罪が起きにくい社会を目指せるかもしれない

ネクタイの例は俺のオリジナルでデュルケームが直接そう言ってたわけじゃないんだけど
結局のところ彼の考えとしては、ネクタイが曲がっている人を見かけた善人社会の人々は「何てことだ、我々の社会の秩序が脅かされている!」と危機感や憤りを感じることになるんじゃないかなと思う
それこそ俺たちが飲酒運転しているドライバーを見るような目でね

衝突を避けることが出来ればあるいは相手を受け入れることもできるかもしれないけど、その『許容』ってのはデュルケームが言うところの「犯罪抑止の放棄」であって、割れ窓理論が言うところの「割れた窓の容認」に当てはまっちゃうのが厄介なところで、その辺のジレンマはやっぱり背負わざるを得ないのかもな・・・

長くなりましたがこんなもんでどうでしょう

途中で送信したまま投げっぱなしの話題拾ってくれてありがとうw

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