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哲学的雑談 / 7

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KANAME 2019/06/15 (土) 06:08:17 修正

>> 3

YouTubeに夢中でこのトピックの存在を忘れてました。
すみません。

いや嘘です。
記憶の片隅にはずっとありました。
すみません。

デュルケームの社会学

まずひとつ、疑問に思ったのは
法がなければ犯罪は存在しないというものです。
これ自体に異論はないのですが…
法がなくても「罪の意識」ってのはあるんじゃないかなって思います。

たとえば、いち個体が別の個体を殺るなど
仮に無法地帯であったとしても
相手が抵抗する以上はそこに摩擦が生じるはずです。

あるいは、近親相姦。
なぜか血の繋がりのある人物とセックスしない。
もちろん性癖が偏ってる人はいるかもしれませんが
基本的にみなさんヤりませんよね…。

これ、「やっちゃいけない」という社会的なルールの存在以外に何か根源的な禁忌の存在を感じずにはいられないんですよね。

次に、犯罪をなくす方法について。
詐欺にしろ人殺しにしろ、そこに共通して言えることがあるとすれば、「価値観の違い」というものが根底にあると思います。
つまり、欲求と規律、どちらを優先するかという話です。

たとえば

  • 嘘つきは犯罪
  • ネクタイが曲がっていたら犯罪

のような善人社会があったとしましょう。
そもそも、なぜそれらが犯罪だと思うのか。
悪とは何か。
その構成要件は何に基づいているのか。

そういったことについて掘り下げ、「理解する」ということが仮に全人類にできたとしたら…

「あなたはそう思う。でも私は逆でこう思う。それはこのような理由があるからである」

と認識の相違について解説することができるようになり、無矛盾性を与えられますよね。
つまり、別々の価値観が「衝突しようがない」という意味で犯罪が起きにくい社会を目指せるかもしれない…ということです。

これによって「宗教観の違い」についても、解決できる可能性があります。
さまざまな考え方があることを理解すれば、ある意味では受け入れることは可能なのではないかと。
禁煙者と喫煙者が店内で住み分けされているように。

割れ窓理論

深読みしてたらすみません。
自分たちが隠居した後の喧嘩界ディスってます?w
誤解がないように言っておくと、そういうブラックジョークは全然このトピックでしていただいて構いません。
余裕で許容範囲内です。

で、例のWikiによると…
心理学者のフィリップ・ジンバルドは実験結果から以下のようなことを言ってますね。

「人は匿名性が保証されている・責任が分散されているといった状態におかれると、自己規制意識が低下し、『没個性化』が生じる。その結果、情緒的・衝動的・非合理的行動が現われ、また周囲の人の行動に感染しやすくなる。」

なるほどなるほど。
こりゃあまさしく…
コンプラのようではありませんか。

ここができてから、他の場所のように落書きの埋め立て地にならないのは、やっぱりなんだなんだ民度が高いからですね。
そんなに大量の書き込みなど最初からまったく求めておらず、どちらかと言えばクオリティを重視していきたい自分としては今くらいがちょうどいいです。

話が逸れました。
この話で逆に気になるのは、自己規制意識を高く設定できる人のほうですね。
たとえば、チュウゴシさんは、喧嘩サイト以外のパブリックなネット上で喧嘩の話題を出すことはまずしないでしょう。
それはあなたがこういった場所とそれ以外を明確に分けているからだと思います。
一方で、私はあえてそういう話題を出してしまう(ありとあらゆる価値観をクロスオーバーさせる)特殊性癖の持ち主ですが、意図的ではなく、脳からオートで言語が出力されてしまう人というのが一定数いますね。
なぜ自分はそうならなかったのか、考えたことあります?

また、喧嘩においてもそれは顕著にあらわれています。変な話ですが、お互い対立の関係にありながらそこについて共通認識があり暗黙の了解としている。
これは喧嘩に限らずですね。普段の対人関係においても、そういった信頼に値する価値観への相互理解というものがあると思います。
あいつに任せておけば、いちいち煩わしい説明を行わなくても、きちっと仕事をこなしてくれる。自分がよく気付くポイントや重視している点について確認漏れはしないだろう、と。

長くなりましたがこんなもんでどうでしょう…。

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  • 9
    詠み人知らず 2019/06/23 (日) 18:08:28 >> 7

    >> 7
    仕事と遊びに夢中でこのサイトの存在を忘れてました
    すみません

    いや嘘です
    記憶の片隅にはずっとありました
    すみません


    ◆罪の意識について

    遺伝子的に相互補完関係が強い相手が放つフェロモンは特に魅力的に感じる・・・みたいな話はよく聞くけど、逆パターンの親近相姦についてはどうなんだろうな
    自然界においては、イヌネコ然り、他にも代表例としてハムスターなんかは平気で近親繁殖しまくるし、かくいう俺自身も「その相手が近親関係だと知らされていない」って状況下なら全然イケちゃう気がする
    俺は異性の兄弟姉妹がいないので想像の話になっちゃうけど、そういうの本能的に察知できる自信ある?
    俺は無い・・・カワイければ尚良しまであるw

    殺しとかに関しても、人類史をさかのぼれば人間をモノとして扱う奴隷制度なんてものが当然のように存在してたわけだ
    根源的な罪の意識や拒否感・忌避感といったものも土台としてあるにはあるのかもしれないけど、後天的に刷り込まれる社会的価値観によって容易く上書きされるものだと俺は思う


    ◆割れ窓理論

    当初は尾崎豊ネタでも添えようかなとか思ってたけど、ブラックジョークみたいな意図は一切ないw
    >> 3は粗相しちゃったけど、本来あとに続く内容としてはデュルケームの社会学と比較するつもりだった

    割れている窓があると治安が悪くなるという割れ窓理論、内容としては「通り魔が出てしまう前に窓を直せ」みたいなもんで、通り魔を減らすためには割れた窓を放置することを法で禁止(法を厳重化)すべきだというデュルケームの考えと一致している部分もあるんだけど
    デュルケームが社会的事実を軸にして現象と向き合っているのに対して、割れ窓理論の趣旨はどちらかというと自己規制意識などの心理学的な領域に腰を据えているという違いがあるんだ

    窓が割られていたりゴミがポイ捨てされているのが視界に入っていると、引ったくりや車の窃盗などより重度の犯罪を試みる人が現れやすくなる・・・といったように、割れ窓理論では犯罪の重大性として『小→大』の流れを見ているのに対して、デュルケームは法の整備(秩序の水準)が進めば進むほどネクタイの曲がりなどが取り締まられるようになる『大→小』の流れを見ている
    社会的事実を軸にするか心理的要因を軸にするかによって、似ているようで似てない異なる毛並みが出来上がってるわけなんだ

    別々の価値観が「衝突しようがない」という意味で犯罪が起きにくい社会を目指せるかもしれない

    ネクタイの例は俺のオリジナルでデュルケームが直接そう言ってたわけじゃないんだけど
    結局のところ彼の考えとしては、ネクタイが曲がっている人を見かけた善人社会の人々は「何てことだ、我々の社会の秩序が脅かされている!」と危機感や憤りを感じることになるんじゃないかなと思う
    それこそ俺たちが飲酒運転しているドライバーを見るような目でね

    衝突を避けることが出来ればあるいは相手を受け入れることもできるかもしれないけど、その『許容』ってのはデュルケームが言うところの「犯罪抑止の放棄」であって、割れ窓理論が言うところの「割れた窓の容認」に当てはまっちゃうのが厄介なところで、その辺のジレンマはやっぱり背負わざるを得ないのかもな・・・

    長くなりましたがこんなもんでどうでしょう

    途中で送信したまま投げっぱなしの話題拾ってくれてありがとうw