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哲学的雑談 / 27

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野良 2019/12/13 (金) 22:45:13 037c3@be086

>> 26
疑問②へのご回答ありがとうございます!!

人為的な手段で人工知能に自我を搭載させようとするならアクセス意識の構築が先立つのではないかな?とは思っています。

ああ、なるほど、そういうことですか。
唯物論的感覚からすると、自我よりもアクセス意識のほうが物理的世界に親和性がある気がする、ってとこですかね。
確かに、僕も唯物論的感覚の持ち主、通称ユブラーであることから、なんとなくその感覚は分かります。

「現象的意識野郎なんざ電卓と一緒なんだ!石ころなんだよ!!😭」というけたたましい慟哭についても、ユブラーの僕にはしみじみと心から共感できます。安室ちゃん何で引退したんだ!😭

・・・ってぼんやり思ってましたけど、以下を読み、反芻した結果、アクセス意識が発生した赤ん坊のごとく新たな仮説に至りました。

「いまHDD内のエロ画像を読み取っていることを認識する機能」

これは「アクセス意識」のことですが、

「エロ画像を読み取っているCPUは自分であると認識する機能」

これって、実は「自我」そのものなのではないでしょうか?

最初この文章を読んだとき、強烈な違和感のクオリアが僕のアクセス意識を駆け巡りましたが、その正体がつかめずにいました。
しばらく反芻した結果、この文章の「つまり」で同値変形されている前者と後者が同値ではなく、尚且つこの文章全体が「自我を搭載するなら自我が必要」みたいなあたり前田のクラッカー構文になっているかもしれないと思いました。

この「~しているのは自分であると認識する機能」とは即ち、
世界から「自分」を切り離して自分を認識する機能、
言い換えれば「自分と他者は異なる存在であると認識する機能」、
イコール、「自我」そのものなのでは?

と、ここまで偉そうに批判めいた文章を書いてきましたが、このときの思考プロセスのなかで「自我とはなんぞや?」と問い直した結果、
「アクセス意識の発生と自我の習得、やっぱり因果関係にあるんじゃね??」という新たな仮説に至ったのです。

生まれたばかりの赤ん坊が、ンギャンギャ言いながら母親と同一の存在のつもりでいるとき、赤ん坊は「ボーっとしている(現象的意識しか存在しない)状態」だと思うんですね。
そして次第にボーっとしている状態から「開けた(アクセス意識が存在する)状態」に遷移していきます。
このとき、赤ん坊は外界に干渉していきながら、
「おや?近くの肉を触ったときと遠くの肉を触ったときでクオリアが発生したりしなかったりしますね。
ほう、これが“自我”ですか…
たいしたものですね」
と、徐々に自我を習得していき、ゆくゆくは炭酸抜きコーラを愛飲するグラップラーに成長するんじゃないかな~と思うんですよ。(オイオイオイ)

アクセス意識ありアクセス意識なし
自我あり実現可能実現不可能
自我なし実現可能実現可能

「アクセス意識」と「自我」の関係はこんな風に整理できるかもしれないと思ってます。

まちゃはるが哲学的ゾンビであるのかどうかを見極めるのと同じくらい難しいわけです。

福山雅治ファンに怒られますよ。


いくら自我搭載型のパソコン同士をLAN接続したとしても、結局のところ共有HDDから引っ張ってきたデータを処理するCPUが自我の拠り所になるという意味では「もう片方のCPUに自我が搭載されてるか」は確かに分からないですね

おお!的確なモデルですね!
僕も以下のような数学風モデル(というか例え)を考えてました。


右脳にとって、左脳は哲学的ゾンビかもしれない存在になるのでしょうか?
「物理的要因によりクオリアも分断された」と解釈するほうが、やはり個人的にはしっくりきます。

なるほど、主観そのものを観測することはできないものの、「自分以外の主観が存在するだろう」という確実性の高い見通しは可能だろうというわけですね。
ふむ、今のところ二元論好き好き人間、通称ニガーを弾圧するための一番の有効打になりそうですな・・・KっKっKっ・・・
我ら唯物論至上主義団体の繁栄のため、参考にさせていただきますぞ。


そもそも「意識」というものに明確な境界があるのかどうかも曖昧じゃないですか。

う~む・・・痛いところですよねそれは・・・。
前回、ホーガン姉妹の問題について、「Bluetoothと一緒だわさ!!」と僕はキメ顔でそう言いましたが、ちょっと勢いで言い過ぎたかなぁとも思ってます。

「意識が独立している」という前提であのようにキメ顔したわけですが、
実際のところ本当に独立しているのか、それこそ僕らの主観では分かり得ず、
もしかしたら「互いの主観を観測できる」という、僕らにとって超異次元的感覚である可能性を否定できませんからね・・・。

であるにも関わらず、やや断定的な物言いをしてしまったこと、このことは小林敬さんに「謙虚ライオン!!」と糾弾されかねない暴挙であったと認めざるをえません。

僕は二度とキメ顔なんてしない。いえーい。ピースピース


ついでに、疑問①について補足説明をしておきます。


・・・すいません、自分凝り性なもんで、考えついたこと全部形にしたくなっちゃうんです・・・。

長ぇよバカ!と感じたらいつでも仰ってくださいね。うるせぇバカ!と思いながらも調節しますので。
本当に、詠み人知らずさんの興味あるとこだけ拾ってくだされば満足なので・・・。

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  • 28
    詠み人知らず 2019/12/14 (土) 07:02:46 修正 >> 27

    この文章の「つまり」で同値変形されている前者と後者が同値ではなく、尚且つこの文章全体が「自我を搭載するなら自我が必要」みたいなあたり前田のクラッカー構文になっているかもしれないと思いました。

    分かります。俺もそういうクオリアを胸に抱きながらその部分を書いてました。
    ただ、赤ん坊をはじめ霊長類やイルカ、像などに施されたミラーテスト(別名ルージュテスト)についてやんわり調べていたところ、「いや・・・でも直感的にそうだわ、たぶん正しいわ」みたいな感じの強烈な確信が稲妻のように迸り、そのまま書くに至った次第です。

    生後間もないバブちゃんは自分を母親の一部分だと思ってるわけです。いや厳密にいえば「思ってすらない」どころか「肉で出来た地蔵のようにただ物質としてそこに有る」って状態なんでしょうけど。
    で、野良さんが言うように、外界との接触を継続的に繰り返すことで「アクセス意識を得られる範囲(自己)の外輪」を指でなぞるように少しずつインプットしていくのだと思うわけです。
    ムカデの赤ちゃん場合は、ここで50本の足に適応した鋳型が作られる感じでしょうか。

    • 近くの肉を触ったときと遠くの肉を触ったときでクオリアが発生したりしなかったりしますね。
      ほう、これが“自我”ですか…

    ここに書かれているような「クオリアを知覚する機能」も、元々は備わってないんじゃないかな?と考えてます。
    ユイブニストとして語弊を恐れず極論並べ奉らせていただくのであれば
    結局のところ、赤ちゃんってある意味では母体の子宮の中にできたオデキ・・・物理的にメチャクチャ精巧で複雑な構造のオデキだと思うんですよね。

    近くの肉と遠くの肉を触ったときの物理的な刺激の差異を元に、最初期は機械的なディープラーニングを行っているが、持ち前の高度な物理的機能によってより一層複雑な学習をこなせるようになっていき、やがて自分を客観視できる次元(自分じゃない存在を自己流で定義づけ、自分からそぎ落とす次元)に到達する・・・というのが俺のイメージに近いです。
    そのために必要となる物理的な複雑さこそが その現象が「現象そのもの」を認識するために必要な物理的条件(量や規模など)をxとしたとき のxにあたります。

    また、人工知能の自我についてもう少し言及するならば、自由意思の有無についても語られたりしています。
    いわく、機械は他者によって入力されたタスクを目標に設定するが、人間は目標そのものを自発的に設定できる・・・だとか何とか。
    でも、俺たち人間においても「真に純粋な自発的選択」なんて無くないですか?

    バタフライエフェクトじゃないですけど、物理的な因果の連鎖って受精をまたいでると思うんですよ。
    意識がどうのこうの~というよりもまず「物理的な"自分"はどこからどこまでなのか」ってのも謎めいてくるわけです。
    子供のころ、タイム風呂敷をかぶったジャイアンが赤ちゃんになるのを見て「こいつのデカい図体って元々は肉や野菜だったはずでは?どこに消えたんだ?」と揚げ足をとるようなキショいガキが厚かましくも大人になってしまったのがこの俺という存在なわけですが、タイム風呂敷に包まれて無限の時間を過ごしたら、世界に初めて出現した原始の物質まで遡及することになると思うんです。

    そう考えると、少なくとも「ほぼほぼ形而下の現象とみて間違いないであろう現象的意識」に関しては、ブラフマンとアートマンってまさに同値だと思うんですよね。
    そしてアクセス意識や自我やクオリアに関する認識においても「どこからどこまでが自分なのか?」という目線で考えるのではなく、「ブラフマン的全体像のうち、物理的な複雑さが濃い部分と薄い部分があり、濃い部分はアートマンの濃度も濃くなる」みたいな認識もできるのではないでしょうか。