返信遅れました。
初回のレスから最新の反論までざっと読み返してみましたが、あなたの意見は極端に偏っており、視野も狭いです。
スマホによる弊害は義務教育のいかんに関わらず、また年齢の高低に関わらず、あまねく人々にとっては無いほうが好ましい事柄ですよね。
義務教育以外の人は自己責任だから弊害が起きてもやむなしとはならず、自己責任であろうがなかろうが弊害を防ぐことに尽力すべきというのが、あなたからすれば論理的整合性が保たれる主張なのではないでしょうか。
「スマホ依存による諸障害の抑制」を主張の根底に据えるあなたが、義務教育でない人間は障害を被っても問題なしとみなすのは整合性が保たれておらず、それを保つために無い知恵を振り絞ってだした結論が義務教育過程の有無という極めて珍妙な考えなわけです。
そもそも義務教育課程の有無と他責・自責を分かつ根拠は一体なんなのでしょうか。
スマホ依存に陥ることに関して、それが自責なのか他責なのかということについてのコメントは差し控えますが、すくなくとも義務教育のいかんによって責任の内容が変わる根拠はありません。
中学生は義務教育だからスマホ依存になっても自己責任ではないが、高校生は義務教育ではないから自己責任であるという主張に正当性を付与する根拠を提示してくださいよ。
また、脳に関することについてですが、脳というのはまだまだ未知の部分が多い器官であり、その未知なる部分について軽々に決断を下すべきではないでしょう。
中学生の脳みそは発達真っ盛りであることを禁止にすべき理由として提示していますが、それだと高校生の脳は発達真っ盛りではないように聞こえます。
中学生の脳、高校生の脳、どちらが発達真っ盛りかはわかりませんし、わからないならばそのことを主張の理由として提示することはふさわしくありません。
さらにいえば、どちらが発達著しいのかなんていうことは微細な問題に過ぎず、どちらも発達過程にあるのだから、その脳に害を与えかねないスマホは禁止にすべきというのがあなたが取るべきスタンスなのではないでしょうか。
いろいろとおかしいしぶれてますよ。
そして、冒頭に書いた視野が狭いということに関して書かせてもらいますが、あなたはスマホの害の部分にしか目を向けていないように思えます。
私もスマホに害があることは無論認めていますが、有益なこともあります。
大事なのはその害と益とを比較考量し、どちらに分があるのかという答えを出してはじめてスマホ規制に関する結論に到達するのではないでしょうか。
例えば車は年間40万件近くの事故を起こしており、中には命に関わる事故もある明白な害があります。
しかし移動の便利という点で著しい益があり、害と益を比較考量し益のほうが多いだろうということで今日も使用されていると考えられます。
スマホも同じで、確かにあなたが示したような害もあるけれど、それとは別に益もあります。
スマホ依存に陥るというのは別に全員が全員そうであるという話ではなく、一部に限られた人間の話であり、その一部の人間が被った害の部分にフォーカスして全体の益をなくす、すなわち禁止にするというのは短絡的かつ視野狭窄と言わざるを得ません。
わかりやすく、そして公平に一人の人間がスマホを持ったときの益を1、害を1としましょう。
このとき100人の人間が集まれば、益100、害100となりますが、そのうちあなたが挙げたような害が発揮されるのは限定的です。例えば20%としましょう。
そうすると、益100-害20=益80 となり全体的にみて有益ということが言えます。
益が発揮されるのは限定的ではないのかという問題も出てきそうですが、そもそも益がなければスマホを持つことをしないでしょう。
したがって益は100%発揮されると考えて差し支えないと考えます。
こうした全体の幸福度という観点からみてもスマホを禁止にすべき理由はないと思います。