うわべを繕うことが相手に透けて見えた時点で偽善になるし、
仮にうわべを繕う気持ちがなくても相手が邪推にまみれた思考の持ち主であれば相手にとっては偽善となってしまう (但し、神のみぞ知る真実としては単に善であるが)。
善行によって相手は何かしら得をするのかもしれないが、自分が得をしているのを相手が感じ取ることによって相手が不快になるのであれば、その時点で相手は喜べなくなる。更にひどいことに、実際に自分が得をしているかどうかは関係ない。相手から見て自分が得しているように見えることが問題だからだ。
偽善について考えるのであればここまで人間の醜い心と向き合う必要がある。
さて。偽善が必ずしも悪と言えるかどうかの話をしているのではなく、偽善と言われた相手が悪だというレッテルを貼られたと感じるかどうかの話をしている。
偽善者だと言われ、何とも思わない人や褒め言葉に受け取る人が何人いる?そんな人間は異常者以外の何者でもない。ほとんど無視できるレベルだと思うんだが。
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