死刑制度でやろうぜ
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稲葉
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俺は死刑肯定派
既出だと思うけど下記を踏まえて立論してみて。
https://zawazawa.jp/kenkakai/topic/128
https://zawazawa.jp/kenkakai/topic/84
天使、お前。
いや。やめておこう…。
え、なに、言ってほしいんだけど
イタズラに気付いただけだ。
気にするな。
そういえば日本改革宣言トピでは反社会的な人たちは死ね的なこと言ってたけど、死刑についてはどう思ってるの?
同じ地球上に死刑囚ってのは存在してると思うけど。
自分の生活に直接的な関わりがなさすぎて、この手のテーマは正直あんまり興味持てないっつーかぶっちゃけどっちでもよくね?っていう感じなんだが。
稲葉はどうしてこういうテーマを話したがるのかも気になる。
こういうことを問題提起する根底には何らかの思想があったりすんのか?
あらかじめ立場を決めているなら立論くらい書くべきでしょ。
死刑の是非を巡る議論なんて喧嘩界隈だけでなく、様々な場でテーマとして用いられるわけですから、
そこに新鮮味を感じることは中々難しいものがあります。
このトピックを見た人の多くは「ふーん、死刑制度問題ね。何度もやったな。」と思うことでしょうし、その時点で好奇心や興味という点で非常に不利です。
それでも扉を開けて入ってきてくれる人は、この使い古されたテーマにまだ議論の余地はあるだろうか、考えもしなかったセンセーショナルな持論が展開されているのだろうかという淡い期待を寄せているものです。
ところがどっこい、入ってみればただ立場が表明されているだけに過ぎず、そこには何の意見もない。
期待していたものが一切無いわけですから本来なら3日後には沈没してますよこのトピック。
こうやって拾ってくれる人間がいることに感謝し、改めて持論を展開してみてはどうですか?
立論考えてきたんで反駁してほしいです
反論でいいのね
わかったよ
市民が死刑判断をする意味を最初に考えていきたい、まずは裁判員法には、「裁判官と共に刑事訴訟手続きに関与することが司法に対する国民の理解の増進………に貸することにかんがみ」という、思わず本音が出たともみられるフレーズがある。これは裁判員の参加する刑事裁判に関する法律第一条なんすよね。で、話を続けると、刑事裁判への関与を通して、国民を啓蒙しようというわけであるが、僕はここに、権力側の意図が透けて見えると思うんすよ。当局の側がこのようなことを考えているとすれば、それは第一に、市民に対しての無礼であると思うんすよ。市民の側は、少なからぬ時間と労力をかけて裁判に市民参加する。その生活上•仕事上の負担は大きいと思うし、精神的負担もなお、大きいと思う。そのような多大の犠牲を払い、負担を背負ってまで、「啓蒙」されるいわれなど、市民の側にはどこにもいないと思う。第二に、啓蒙とは、権力側がやることではない。権力がそれを行うとすれば、啓蒙ではなくて権力化の試みになるのであり、かつそれにしかなり得ない。自由で自律的な市民は、決して当局から啓蒙などされるわけにはいかない。それは権力への迎合であり、権力側の目論見にはまることであり、市民の意欲が無力化されることにほかならない。
つまり、裁判員法一条に垣間見える権力側の魂胆は、逆に、それだけで市民の抵抗を促すだろう。
額面通りに市民参加の根拠と受け取られないばかりか、市民の側の抵抗と闘争を必然化する逆根拠となるだろう。
長くなればなるほど反論に時間はかかってしまいますが構いませんよ
すみません、今日は寝ます!明日やりましょ!
死刑制度肯定派で、その理由を2時間考えたので長くなるだと…
ふざけるな…バカが!
日本人の8割は死刑制度を容認しているんだ。
多数派の普通の意見を2時間かけて長文並べて何の価値があるというのだ…
ゴミが!