>> 138
話の要点を分かって無さすぎでしょ。
そりゃ一般的な科学だって現象に対して名称を与えます。
そんなことは言われるまでもなく承知していますし、そういう話を無駄に膨らませて反論した風になるのはやめてください。
私が言っているのは、精神医学はその定義において否定されるべき根拠をもたないということ。
一般的な科学は現象を究明するものですが、精神医学はそうではない。
日が昇り、やがて沈むのは、地球を中心として天体が回っているからだと古の人たちは考えた。
それが後に天動説と名付けられた。
このように一般的な科学は名称を与えるだけでなく、現象に対して理由を見出している。
そうであるからこそ、否定もできるし肯定もできる。
しかし精神医学は違う。
現象を究明する過程が抜け落ち、ただ名称を与えているだけに過ぎない。
好きなことはやれるけど嫌いなことはやれないという症状を"新型うつ"と名付けたように。
この構造である以上、否定することはできず、ただうなずくしかない。
「お前の名前はナチュラルだ」を否定することができないのと同じです。
だからこそ、精神医学を否定する際には、医学的根拠に立脚する必要はないのです。
そもそもできないのです。
君が謎の自信を見せるうつ病も同じです。
正確なデータが集まってる、論拠がしっかりしている、土台ができている・・・ですか。
笑えます。
うつ病になる原因すらわかってないじゃないですか。
名称を与えているだけだからそりゃそうですよね(笑)
以前までは脳のセロトニンだとかドーパミンの減少が理由というのが定説として確立していたそうですが、今ではそれも確かか分からないという状態にあるみたいです。
結局のところ、精神医学なんていうのは曖昧なものをもとに、曖昧な判断を下しているだけにすぎません。
アメリカの研究では、精神科医を集めて同じ患者たちを診察したところ、一様に違った診断を下すという結果に終わったという事例もあるようです。
病気として扱う十分な論拠があれば、こんなことにはなるはずがありません。
数値では表せず、目には見えず、レントゲンにも映らない。
そんなものに対してはっきりとした論拠なんて見出せるわけがない。
主観で決まるんですよ。ただそれだけです。
さて次。
AもしくはBの状態である時、AでなければBであると導くのは論理的に正しく思われます。
そうなると、鬱もしくは便宜上の鬱である時、鬱でないなら便宜上の鬱であると確かになりますね。
すごいじゃないですか!
・・・いやまてまて。
それは「鬱」あるいは「便宜上の鬱」というものが確立している場合に成立する話です。
私はナチュラルに対して、お医者さんが鬱だと言っているのに"なぜ便宜上の鬱"と言えるのかを聞いているんですよ。
お医者さんは自律神経の状態がどうであろうが「うつ病」という診断を下すわけです。
つまり自律神経がはっきりしていようがしていまいが"病気"だと診断するわけです。
たいしてナチュラルは、自律神経がはっきりしない状態にあることがうつ病で、そうでないものは便宜上の鬱だと言っている。そして便宜上の鬱は病気でないという証言をしている。
つまり、自律神経がはっきりしているのなら"病気ではない"と言っていることになる。
しかしこの便宜上の鬱を用いた理屈はあくまでナチュラル独自のものなわけであり、医者が病気だと言っていることに対して、病気ではないと否定できる医学的根拠が必要だというのはナチュラルくんの考えではないんですか?
対偶とかそんな話じゃないんですよ。ワラワラ