なんか癪にさわるな。
惰性で続けているだけの壊れた蓄音機(笑)にとどめをさすのはやめてあげようという優しい心遣いは不要だったみたいだね。
私はすでに反論なんて待っていなかったし、それは互いに同じだと思っていたけれど、まさか反論待ちの状態だったというのなら、いいでしょう、まだ付き合うことにします。
医学、とりわけ精神医学の分野においては否定すべき根拠を持たない構造であり、他の科学分野とは違って同じ土俵で否定をすることができないと言っています。
この部分について全然否定がなされておらず、「科学がこの世のすべてを解明するだろうなんていうのは夢物語に過ぎない」だとか、もはや意味不明の的を失した発言しかなされていない。
そんな話どこからやってきたんですか。
全く関係ないですよね。
てか本当は頭の中ではちゃんとわかっているんでしょ?
「天体は地球を中心に回っている」という天動説は否定可能だが、「○○という症状を○○病とする」と定義されたものは否定不可能だと。
なぜ否定不可能なのかと言えば、そこに根拠を持たないから。
ただ名前を与えてるにすぎないから。
根拠があるものは否定のしようがあります。
ですが根拠のないものは否定のしようがありません。
当たり前の話です。
だから医学によってうつ病と定義されているものを同じ医学的見地から否定することはそもそもできないんです。
わかりましたか?
医学を否定するなら医学に立脚しなければならないなんてことはありません。
医学について崇高な理想論をかかげてらっしゃるところに申し訳ないですが、あまりにも性善説にかたより過ぎかと。
医療の現場だって所詮は"マーケット"なんです。
患者がいなくなれば医者はハッピーになるのかといえばそうではありません。
むしろ患者が多ければ多いほど懐に入る金は大きくなる。
新たな病気や障害を作り出せば出すほど市場は大きくなる。
そうした状況において、
人の役に立とうとしている医学がわざわざ命名するわけないだろ?
と、なぜ言えるんでしょうか。
前回の投稿で書いた精神科医の話もあります。
頭の中がハッピーセットすぎますよ。
「便宜上のうつ病」って言ってんじゃん。
つまり医者もうつ病じゃないのは分かってるけど、治療するために「うつ病」かあるいはそれの「予備軍のような何か」という大義名分が欲しいんだよ。
言ってんじゃん...って(笑)
そりゃ言ってるでしょうけど...
私は「なぜそう言えるのか」と聞いてるんですよ。
それに対して「言ってんじゃん」ってもう喧嘩やめたほうがいいレベルですよ。
現実ね、うつ病の診断において自律神経の状態は基準とされていないわけです。
面談のみの診断で自律神経の状態なんて分かるわけがないですから。
それならうつ病と診断される人の中には、自律神経の状態がはっきりしない人もいれば、はっきりしている人もいるということです。
ではこの「はっきりしている人」について、それは鬱ではなく「便宜上の鬱だ」となぜ言えるのかと根拠を求めているんですけど。
「自律神経の状態がはっきりしている。したがってこいつは鬱ではなく便宜上の鬱だ。」というのは紛れもなくナチュラルの主張であり、医者側はいずれの状態においてもうつ病と診断することがあるわけです。
それなのに「医者だってうつじゃないのはわかってるけど」なんてことをよくいえますね。
だいたいうつ病じゃないのを分かっているなら"治療"する必要がないですよね。
便宜上の鬱は病気ではない。
病気ではないなら健康体である。
健康体であるならば治療の必要はない。
普通に考えてこうなりますよね。
逆に病気じゃないのを分かっていながら治療するということこそが、私が糾弾している精神科医の金儲け主義そのものではありませんか。
頭ハッピーセットなことを書いたかと思えば、名前の通りナチュラルに精神科医の腐敗に触れている。
いやあほんと、完璧なロジックっす。