飽きてきたから普通に話そかな。
詠み人知らずの
そもそも「まずは1人倒して人数有利に持ち込む」という作戦、通称ランチェスターの法則・・・が通用するのは1人1ライフ制のときだけだろ~がよぉぉぉ????
あいてのうち1人を論破したからといって
べつにソイツは遊戯王みたいに墓地に送られるわけじゃね~~んだぜぇ?
しっぱいだなぁ~その作戦!ヒャ~ッハ~!
これらの言説(>> 44)ってのは、
「この場合(現実)において、『倒されたやつは発言権を失うとか一切書かれてない』のだから、『倒されたやつは発言権を失う』というようなルールに基づいて言説を述べるのは誤りである(先述したルールは通用しない)」
...というように解釈できうる(し、そう捉えるのが自然)と思うんだけど、
これっていうのは、
「『倒されたやつは発言権を失うとか一切書かれてない』にもかかわらず 漫画でありがちな光景をイメージして、現実もそれに当てはまると勘違いするやつ」
に対する批判的内容...❶であると読み取ることが可能(だし自然)で、
そこから「『倒されたやつは発言権を失うとか一切書かれてない』にもかかわらず漫画でありがちな光景をイメージして、現実もそれに当てはまると勘違いする」
ことに対する批判的なスタンスってのが(穏当に)考えられるだろ?
当然、「『倒されたやつは発言権を失うとか一切書かれてない』にもかかわらず漫画でありがちな光景をイメージして、現実もそれに当てはまると勘違いすることに対して批判的なスタンスを取っている奴」が「『倒されたやつは発言権を失うとか一切書かれてない』にもかかわらず漫画でありがちな光景をイメージして、現実もそれに当てはまると勘違いしている」ってのは考え難いだろ?
その上でりおしの言説「>> 44なんだ詠み人もマンガ脳か。」というものがあるわけじゃん。
つまりここで、りおしが詠み人知らずによる❶を認識しても、「読み人はマンガ脳」としているというような解釈になるだろ?
つまり、読み人が「『倒されたやつは発言権を失うとか一切書かれてない』にもかかわらず
漫画でありがちな光景をイメージして、現実もそれに当てはまると勘違いするやつに対して批判的なスタンスをとっている状態」(且つそれをりおしは認識している可能性が高い)にも関わらず、
りおしは「詠み人はマンガ脳」であるとしたわけだよな?
この時、りおしが「『倒されたやつは発言権を失うとか一切書かれてない』にもかかわらず 漫画でありがちな光景をイメージして、現実もそれに当てはまると勘違いするやつ」を指して「マンガ脳」としていると考えるのはきびしいんじゃないの?ってお話。