言葉と思考やワビサビの関係については以前ちょっと触れたので承前&割愛させてもらうとして
例えば英語と日本語だと、そもそも発音時に使う筋肉や呼吸法からして異なってたりする。
tomatoのことを「トマト」ではなく「トゥメィトゥ」って発音してみると、舌の使い方にかなり違いがあることを理解できるはず。
そこにはいわば弦楽器と打楽器くらいの違いがあるわけで、そうすると出る音も当然違ってくる。
日本語(50音)の母音の使い方はマジで打楽器的だと思う
「ポテト」しか知らない人が「英語っぽい音を出そう!」としたとき
トゥメィトゥを参考にすれば自然と「ポティトゥ」に近付けたりもする。
それぞれの言語ごとに、しっくりくるそれっぽい舌(あるいは筋肉)の使い方があるわけです。
もしくは「ありがとうございます」を英語話者っぽく言おうとする場合
「アルィガトゥゴダァイマァス」みたいになると思うんだけど
こういうのってつまり、打楽器用の楽譜を弦楽器で演奏するような感じなんだと思う。
英語話者が話すときによく使う筋肉を似たような要領で動かせば
(ついでに、英語で頻出する母音を多めに融合させれば)
英語っぽい似非単語を創造できるし、巻き舌とか使えばスペイン語っぽくなるはず。
逆もまた然り・・・なんだけど
日本語の性質的に、話すとき舌の動きにあんまり特徴がないので
「日本語を知らない人がイメージだけで日本語を喋る」については、日本語っぽい!ってなりづらいんだと思うよ。
しいて言うなら、重母音などを使わずに50音だけで表現できる発音の言葉であれば日本語っぽくなるとは思う。
以下参考までにドウゾ
「デュクシ!」は英語のオノマトペ的に言いかえると、smack!とかzap!とかが該当するんだろうけど
毛色が違い過ぎてビビル
感じとる臨場感もリアリティの性質もぜんぜん違うんだろうナァ