俺が幼少期からずっと持っていた、ある種の強迫観念のようなものなんだが。
頑張るって、世界一ダサいよなって。
ことあるごとにそればかり言ってるから「ああ、またか」と思う人もいるかもしれないが、この意見(ってかもはや感覚だけど)に反対できる人はいるか?
共感はいらん。
俺が幼少期からずっと持っていた、ある種の強迫観念のようなものなんだが。
頑張るって、世界一ダサいよなって。
ことあるごとにそればかり言ってるから「ああ、またか」と思う人もいるかもしれないが、この意見(ってかもはや感覚だけど)に反対できる人はいるか?
共感はいらん。
ダサくならないように頑張ってて偉いぞ。
>> 1
そんな誰でも思いつきそうな発言をしにこのトピックに来たの?
ダサくならないように頑張って修正したんだな。
偉いぞ。
そんな誰でも思いつきそうな発言をしにこのトピックに来たの?
そんな自分をダサいとは思ってないみたいで安心した。
もしかして、頑張らないように頑張ってるのか?(・ ∀ ・)
俺みたいな無の境地とは質が違うからね、それ
無の境地は頑張ってトピック立てないから安心して。
つまり頑張らずにトピック立てたってことだね(・ ∀ ・)
自爆乙
霧雨のように三食お母さんが餌を自室前に配膳してくれて自分でやることといったら便所かオナニーたまにネット
こんな人間から言わせるとメシ食いに外出するヤツも頑張ってんな〜思われてダサい認定されるんかな?
今のは飛躍的な例えだったが根本的には同じこと
勉強で例えたら今日習ったことは全て理解しなきゃ気が済まない人が放課後残り職員室に行って先生に理解できるまで質問する
こういうの頑張ってるように見えるけど、その人は別に頑張ってないよね
嫌だからそうしてるだけだよね?
霧雨どう思う?
頑張ってるように見えるのも場合によっちゃダサい
さて、頑張るという行動自体がダサいのか、それとも頑張らなくてはいけないという状況そのものがダサいのか、またはその両方か。
基本的に、頑張る、という行動は何かしらの不足を補ったり、まだ達成されていない目的を達成するために行われるものだという認識がある(他のパターンを見落としている可能性があるかもしれない為、もしあればご指摘願おう)。
また、何かしらの不足がある状態や、まだ目的が達成されていない状態というのは、悪いものとして扱われることが多い。ただし、これまた例外(ジレンマにおける取捨選択によって許容せざるを得ない不足など)はあるが。
ここで改めて問う。頑張るという行動は本当にダサいのか。自身に不足が存在するのは、確かに悪しきことなのかもしれない。しかし、それを埋め合わせるという行動自体は素晴らしいものではないのだろうか。
確かに、理想として「不足がない状態で頑張らない」というのがあるだろう。それと比較すれば、頑張る、といった行為はあるべきではないものなのかもしれない。悪しきものなのかもしれない。
しかし、当然の事だが、現実において、初めから完璧な人間など存在しない。生まれながらにしてダサいのだ、人は。そのどうしようもない逆境、それを乗り越えようとするその意志、それをダサいと呼んで果たしていいのか。否、断じて違う。不足へのダサいという価値観は持ち合わせても良いと思う、しかし、その不足を埋め合わせようとするその心、それは紛れもない誉れなのだ。
よって、俺は頑張るという行動をダサいとは思わない。
「頑張ってる」
仕事で例えると入社3年目で同期入社のAくんBくんがいたとしよう
Aくんが目を瞑ってでもできる仕事をBくんは入社一年生組と共に今頑張って憶えようとしている
残念だけどBくんの頑張りに意味は無い「Bくん頑張ってるね!」なんて言われたらこれは明らかにネガティブな嫌味で言われていると思って間違いない
逆によく今まで辞表を出さなかったか聞きたくなるレベルだ
Bくんのように「頑張る」タイミングが分からない人間は実際にいる
頑張るを手放しで肯定してあげられるのは小学3年生までだ
そこからは早い段階で如何に頑張るかを学ばせなければならない
やっとまともな発言が散見されるようになったな
お前らの頑張りに拍手だ
頑張ることがダサいというのはほとんど印象の話
汗水垂らして、何してんの?
夢に向かって本気でぶつかるとか
自分で夢って言っちゃってるし
非常にサムいよね
泥臭いのは見てて恥ずかしい
実りのない努力は、特にね
どんな勝者も、並々ならぬ努力を見せられると途端にダサくなる
アイドルが練習風景見せますか?フツー
さてはこいつ、頑張ってる人を見たことがないな。
ベタすぎるイメージの話ばかりでメディアに洗脳されておるわ。
現実味がないねん。
夢とかアイドルとか。
テレビの見すぎ。
同じくらい頑張ってるAさんとBさんがいたとして
【比較1】
みたいな状況だと、Aさんのほうがイケてると思っちゃうし、その反動でBさんがダサく見えてしまうってのは・・・まぁ理解できなくもない。
Aさんは底が知れないというか、まだまだ伸びしろを隠し持ってるように思えるからな。
それでは、ここに新たな設定を付け足していってみよう。
【比較2】
この新たな比較では「頑張ってる感の有無」に加えて「成果の程度」という軸が新たに加えられたわけですが
この場合も「Bさんのほうがダサい」と感じるだろうか?
さらに新たな設定を付け足してみよう。
【比較3】
今回は、比較する人物を追加することで「頑張ってる感の有無」と「成果の程度」の組み合わせパターンを網羅してみた。
Aさん~Fさんをダサい順に並べると、どうなるだろうか?
霧雨の意見を否定する目的で都合のいい設定を追加した、というわけではない点に留意してもらいたい。
場合分けの粒度を上げることによって「ダサいと感じてる対象は何なのか」をより正確に把握できるのではないだろうか。
【比較2】に対する印象によって
いくら成果を上げていようとも努力感が見られればダサく思えてしまうのか?が判明するし
【比較3】に対する印象からは
努力感が見られなければ成果が低くてもダサく感じないのか?が判明するはずだ。
バブル崩壊後の、いわゆるさとり世代・・・およびそれに起因するニヒリズム的な価値感は、多かれ少なかれ現代人の誰しもが抱いている感覚だとは思う。
ただニヒリズムにしても程度の問題で、例えば「FさんよりBさんのほうがダサい」と感じてしまうようであれば、余りにも浮世離れしすぎというか、何かトラウマでも抱えてんのかな?と思います。
おーいいじゃんいいじゃんやってんねぇ