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頑張ることは、ダサいことなのか否か。 / 12

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シミリー 2020/01/24 (金) 16:12:40

さて、頑張るという行動自体がダサいのか、それとも頑張らなくてはいけないという状況そのものがダサいのか、またはその両方か。
基本的に、頑張る、という行動は何かしらの不足を補ったり、まだ達成されていない目的を達成するために行われるものだという認識がある(他のパターンを見落としている可能性があるかもしれない為、もしあればご指摘願おう)。
また、何かしらの不足がある状態や、まだ目的が達成されていない状態というのは、悪いものとして扱われることが多い。ただし、これまた例外(ジレンマにおける取捨選択によって許容せざるを得ない不足など)はあるが。
ここで改めて問う。頑張るという行動は本当にダサいのか。自身に不足が存在するのは、確かに悪しきことなのかもしれない。しかし、それを埋め合わせるという行動自体は素晴らしいものではないのだろうか。
確かに、理想として「不足がない状態で頑張らない」というのがあるだろう。それと比較すれば、頑張る、といった行為はあるべきではないものなのかもしれない。悪しきものなのかもしれない。
しかし、当然の事だが、現実において、初めから完璧な人間など存在しない。生まれながらにしてダサいのだ、人は。そのどうしようもない逆境、それを乗り越えようとするその意志、それをダサいと呼んで果たしていいのか。否、断じて違う。不足へのダサいという価値観は持ち合わせても良いと思う、しかし、その不足を埋め合わせようとするその心、それは紛れもない誉れなのだ。
よって、俺は頑張るという行動をダサいとは思わない。

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