「人と人との間に大した差など無い」
極端な例を含まなくても「大した差」はあるだろうというのが野球選手の球を投げるコントロールの例です。
こんな、どうしようもないノータリンの、圧倒的なバカがこの世に存在するのなら、人と人が分かり合えるわけがないだろう、と。
いえいえ。
彼らの今までの経験や家庭環境、幼少期のコンプレックスや思春期のカルチャーショック、大人になってからこじらせるに至った明確な理由もお話をちゃんと伺うことができれば「理解」はできます。
もちろんこちらが一方的にメタ認知する形になりますし、それがどこまで正しいかはケースバイケースだと思いますけど、こちらがある程度「わかって」いればそれでいいんだと思いますよ。
野良さんが特定のカテゴリに放り込まれてしまった理由、「わけがわからない」「意味不明」と表向き思いながらも思い当たる節が一切ないわけではないでしょう。
相手がなぜ「わからない」のかもわかるでしょう。「なぜ相互理解ができないのか」というのもわかるでしょう。
発達していなかったわけではなくて、コントロールができなかっただけでしょう。
思いとは裏腹の行動に転じることは人間あるあるですから。
あなたはこういう構造で「悪いことを企んでそうな不敵な笑みを浮かべている」と解釈しておられるのではありませんか、
と相手の相手自身へのメタ認知を促進することも一つの手だと考えています。
それが通用するなら宗教や文化の違いによる諍い、子供のまま大人になった人間の口喧嘩から戦争まで起こり得ません。
僕と野良さんの話が通じ合うのは、考え方に先立って「事実や真理を優先しよう」という「価値観」の部分で意気投合しているからです。
たとえば恋の相談で、「具体的なアドバイスなど必要ない、ただ私の心を癒してくれる言葉を投げかけてほしい」と思っている女の子にマジレスは野暮ってもんです。
メタ認知などしていなくても心健やかに生きている人たちも僕の友人にはたくさんいます。
彼らは僕の考え方になんの興味も示していません。はっきり言いましょう。
なんか小難しいことをズバズバ言うキャラクター的側面にある種の面白味を感じているだけで、その中身などどうでもよいのです。
僕は、彼らにはなかなかできない感情のメタ認知ができる一方で、自分が有象無象であるという確信を持っています。
それゆえ、彼らの有り様を格下だとは思えないんです。
まあ演技はそのへんにしときましょうや。
精神分析ゲームをこの僕に持ち掛けたのですから。
詮索するつもりはないですが、野良さんのこの発言に関しては冗談キツいって感じですね。
「野良」というハンドルネームの意味にしたがって順当に有象無象と謙虚に振る舞ったつもりでしょうが、あなたがそういう「バカ」のみならず、喧嘩界にいるユーザーも含めて全体的に見下しているということくらい手に取るようにわかりますよ。
メタ認知ができて、コントロールもできるから、批判を避ける。
あなたは「野良」が他人の目にどう映るのかよく理解している。
だだ僕との対話を楽しんでいただいているのは本当でしょう。
こういう次元の喧嘩はブルーオーシャンですからね。