そこには圧倒的な差があるように感じられます。
「現実が見えてない」と。よく言われます。
手厳しいですな。
僕の経験など取るに足りませんが、言葉の通じない重度の知的障害者や高齢者の方と接したことがあります。
いやぁ、ほんとに「自分の感情をメタ認知できるようになる」どころの騒ぎじゃないですよね。
数字の7の書き順も認知できないのですから・・・。
それでも、その人たちも含め、僕は人と人との間に大した差など無いと思います。
勿論、その人たちが「自分の感情をメタ認知できるようになる」とは思っていませんよ。僕にもできない感情のコントロールがあるように、その人たちにもできないことがあるだけだ、と思ってます。
なぜ僕が一部の感情コントロールができないかというと、僕の脳に何らかの障害があるからだと考えています。同様に、僕たちが想定している「彼ら」の多くにも何らかの障害(発達遅延のような)があると考えており、僕には彼らが自分と圧倒的に差がある下等生物だとは思えません。
同じ障害者仲間だと思ってます。
彼ら全員が「自分の感情をメタ認知できるようになる」とは思いません。
しかし、「彼らの多く」はできるようになるんじゃないかなぁと信じてるんですよ。
確かに、さらっと一行で言っちゃいましたね。
現実的には、尋常じゃなく難しいことだということも認識しているつもりですよ。
それでも、ここが「人間」たる所以だと思うんです。
よければ、KANAMEさんが彼らは「メタ認知できない」「理解などできるはずもなく」と考える理由を教えていただけませんか?
彼らは、そんなに決定的なまでに「自分の理想と相反する」ことに苦痛を感じるのでしょうか。
そして、その状況を変えるのは不可能だとなぜ断言できるのですか?
自覚できていないわけではなく、自覚することを拒んでいるんです。
であれば、もはやこれ以降は定義問題になりかねませんね。
「自覚することを拒んでいる」という状態について、
「だから高解像度で自覚できていない」と解釈するのが僕で、
「存在そのものは自覚できている」と解釈するのがKANAMEさんでしょう。
何をもって「自覚できている」を定義するか、の違いですね。
お互いの主張の本質は矛盾しないように思います。
しかし、
自分の感情を素直に受け入れることが、自分の理想と相反するからです。
これは非常に参考になりました。ありがとうございます。
コントロールできる人は、「書かない」もしくは「うんこをショートケーキに変える技術」を持っているでしょう。
例に漏れずあなたもその一人ですよ。
おお、面白い!!
うんこと仰いますか。
なぜ僕がうんこ製ショートケーキを作っていると感じたのか、よろしければ言語化していただけませんか?
純粋に、KANAMEさんがどのような思考回路で精神分析をしているのか、興味があるのですよ。
「全然違いマァ~ス!バ~カ!」みたいな下らん反応はしないと約束します。
ただただ非常に興味深い。
ちなみに、どうでもよいことですが、
高い解像度の自覚ができていない、という意見、これまでの発言については、僕に対する皮肉な側面もあるのかな?なんて考えたりはしてましたけど、僕は自分を棚に上げたりはしませんよ。
僕はKANAMEさんが思ってるほど腹黒じゃないですよw安心してくださいw
まあ腹の内を見せてもよいのですが、上記の精神分析ゲームのネタバレになってしまうのでまた別の機会に。
野良さんは、すべての言動・行動が感情に基づいているとお考えですか?
「感情」をどう定義するかによりますが、「欲求」と一緒くたにしてよいのなら、答えはYESです。
ここでバカの側に立ってみますが、彼らのバカのような欲求が一時的にでも満たされているのなら、それはそれでギブアンドテイクが成立しているのではないでしょうか。
なるほど、面白い見方ですね。
炎上商法とは、彼らの「自分と向き合いたくない」というニーズを満たす商売であると。
炎上商法のおかげで、彼らが炎上現場以外で稚拙な行動をしなくなるのなら、炎上商法は世の中のためになってるのかもしれませんね。
まあ個人的には、自分と向き合わせる鎮火商法によって当該ニーズもろとも世の中がマシになったらいいなと思っちゃいますけどね。w