「世界は5分前にできた」と主張する例のあれです。
バレましたか。
懐疑主義者の懐刀にして、物事の実証を他人に委ねる責任逃れ戦法。
浅はかな考えを見破られました。
しかし、有効な反論として
「勝手にしたら?あなたが認識する私の存在証明を、私がする必要性はどこにあるの?」
これを言われた後のことを考えてました(汗
逆に時間の無駄ではないこととはなにかということ。
>「必要な無駄」という一見矛盾ともとれるこの言葉は、やたらに効率や生産性が迫られる今の時代にこそ必要な考え方だと思います。
素敵な言葉をありがとう。まずは私の1負けです。
娯楽とわかっていて享受することが、無駄に思えてしまいます。
個(自分)を満たすことが、社会(全体)の何に繋がるというのでしょう。
例えば家庭を持ち、会社で働いていると、個が満たされることの価値が見いだせなくなってきます。
効率化と生産性の向上を求め続ける社会は、個の余暇を奪い、個が全体のための糧になることを望んでいます。
もはや形は違えど、武士道や戦時中の日本のように、全体のために個を捧げることを至福と考えるべきではないでしょうか?
とはいえ、
今度は嫌いなことばかりをやっていると心身を病んでしまいます。
尤もな意見ですが、では「ポケモン」や「読書」は
全体の糧となる個人という資産 を維持(心身を病ませない)させるための「ツール」と捉えることもできます。
そう考えれば個人は自由な欲求に耳を傾けず、心身を保つための必要最低限なカウンセリングを受け、食事も栄養補給剤のみに頼るというような考えを持つこともできます。
あるいは全体の生産性につながる同じ読書でも ビジネス本 やセミナーなどに余暇の時間を費やすことこそ、
至福と捉えるべきなのではないでしょうか?
個人が自由に欲求を満たすことを目的に社会が豊かさを持つのならば、
「ソードアンドシールド」には大賛成ですが、
個人が犠牲になることを前提に、社会が国際的競争力などを保とうとするならば、
個人が自由に欲求を満たすのは間違っています。
個人の欲求があったとしても、それは全体の生産力向上を前提としなければなりません。
PS:
以上は暴論ですが・・・(笑)
目先の有益性ばかりにとらわれず、無駄なことを愛でて取り入れ、どうかあなたが楽しくも無駄な人生を歩んでくれることを切にお祈り申し上げます。
名前にたがわず、優しいですね。