天使さんを思う余り、妄想シミュレーションが発生している可能性があります。
安心してくだい、妄想じゃありませんよ。
でもこれってあれですよね。世界5分前なんたらみたいなやつ。
「世界は5分前にできた」と主張する例のあれです。
それに通じるものを感じます。
私が何を言っても、「○○という可能性を否定できていない」で済ませる懐疑主義者の懐刀にして、物事の実証を他人に委ねる責任逃れ戦法。
このやり取りの先にはそうした未来が予見されます。
なので正直付き合いたくないですね。
ちょくちょく、読みます。小説が好きでした。
ところが最近読まなくなりました。時間の無駄だったのではないかと思うようになりました。
好きだったんですか。それなのにもったいない。
思うんですけど、好きなことってたいてい時間の無駄なんですよ。
最近私はポケモンのゲームに夢中なんですが、まるで時間の無駄です。
喧嘩も同じです。こんなこと早くやめてしまいたい・・・笑
余談はさて置き、ここで一つ考えたいのは、逆に時間の無駄ではないこととはなにかということ。
生活で役立つことであったり、必要なことに使う時間は無駄とはいえないでしょう。
だとしたら、勉強とか...仕事とか...家事育児とか...が真っ先に思い出されます。
でもそうしたことって一般的に「大変なもの」であるし、「すきなこと」ではないですよね。
もちろん全員がそうとはいいませんが。
つまり何が言いたいかというと、好きなことは時間の無駄であるけれど、嫌いなことは時間の無駄ではないということ。
要はバランスが大事でして、好きなことばかりをやっていても生きていけなくなるし、今度は嫌いなことばかりをやっていると心身を病んでしまいます。
無駄な時間と必要な時間をうまく混ぜ込み、折り合いをつけることで豊かに生きていくことができるわけで、無駄だからといって切り捨てる生き方はあまりに無理があります。
ひるがえって、小説を読むことは確かに人生において何の約にも立たないかもしれない。
ですがその「無駄を過ごす」ということ自体が人生において重要であって、そういう視点で捉えれば、小説を読むことにも意義を見いだせるのではないでしょうか。
端的に言い表すと、必要な無駄を人生に取り入れるべきということになります。
「必要な無駄」という一見矛盾ともとれるこの言葉は、やたらに効率や生産性が迫られる今の時代にこそ必要な考え方だと思います。
目先の有益性ばかりにとらわれず、無駄なことを愛でて取り入れ、どうかあなたが楽しくも無駄な人生を歩んでくれることを切にお祈り申し上げます。