んー、そうですね…
相手を立ち上がれなくなるまで暴行を加えることを喧嘩の目的にすること
たとえば、これをネット上の喧嘩に当てはめたなら、自然と答えは出るのではないでしょうか…?
すぐに思い浮かぶ例として長文があります
これは、意図的に長く書くことによって、相手のやる気を削ぐ方法です
文章が長ければ、それだけ読むのに労力がかかりますし、目や頭が疲れます
よって、どちらかが書き込めなくなるという状態が想定されます
つまり、相手が書き込めなくなるまでレスを叩き込むことを目的にするというのはどうでしょう?
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風邪で寝てました汗
遅くなってすみません。
なるほど、捉え方によっては素晴らしい意見だと思います。
この意見に 反対 します。
個別でのやり取りではなく、ここでは掲示板という 第三者の目線 ありきでやり取りしています。本人たち同士で優劣を決めるだけなら、互いに自分の勝ちの基準を押し付け合えばいいと思います。しかし、 意図的に長い文 のやり取りが他の人から見ても「勝ち」につながるでしょうか?
他の人から見たら読みにくいし、やり取りの流れがわかりにくいだけではないか、と。
相手が書き込まなくなることを目的とするなら、反論出来なくなったり、心が折れてしまうということも、想定できると思います。
相手がそういう状態になったことを他人にも世代をまたいで誰の目にもわかりやすいように「喧嘩」というコミュニケーションは
親子でも楽しめる喧嘩 に進化していったのではないでしょうか?
>> 14
おっしゃる通り、互いに異なります
しかしそれは、喧嘩を行ってる人だけでなく、第三者目線でさえ、異なっていると想定できると思います
これはつまり、読んだだけでは、どちらが勝ったのかわからないということになりませんか?
それを踏まえて、視点を「長文」に戻しましょう
と、バンドルさんはおっしゃいました
たしかに、勝ちの基準を書かれている内容に限ると、どちらが優れているのかわかりにくいと思います
しかし、相手が書き込んでいるかどうかというのは、読まなくてもわかることではないでしょうか?
(例)
喧嘩が起こる
↓
長文合戦
↓
どちらかが書き込まなくなる
この例の通り、やりとりの流れや相手がそういう状態になっているかは、読まなくても容易にわかるのです
話が前後しますが、そもそも、喧嘩にはルールはありません
勝ちの基準は、見る人や、行う人の自由なのです
一般には、論破すれば勝ちとよくいわれます
しかし、そういう認識自体、改め直す余地があるのではないかと、そうかんじませんか?
おだいじに!
の通り、やり取りの内容はブラックボックスになっております。
すなわちここで、投稿のやり取りを喧嘩と称して、する必要もありませんよね?当人同士、個別でやり取りして最終投稿日時がわかるようにログをとればいいだけなのですから。しかし、こんな反論は無意味なんです。下記のご意見を後から頂きました。
ふむふむ、なるほど?例えば最終投稿日時を当人同士の取り決めによって喧嘩の勝敗の一つの基準にしてもいいという意見であって、一つの基準をを共通の基準とするっという意見ではないということですね。納得しました。
一般にはそうだったんですか?
最初に喧嘩の目的について伺いましたが、もし私が同じように聞かれたら 答えられません よ。だから聞いたんです。個々の自由です とも答えません。だってなごむさんは私と ここ で ちゃんと やり取りしてくれてるじゃないですか。喧嘩界という郷に入ったやり取りしてくれてるじゃないですか。
先に言いますね。私は「ちゃんと」を言語化することはできません。
トピックの「我々の目指す喧嘩」、そろそろ中身を教えてくださいよ。「私の目指す喧嘩」を教えてくれても、構いません。
ありがとうございますっ!
>> 17
…えーと、へんなこと聞きますが、中身ってなんでしょう…?
これも中身のひとつだとおもいますけど…
あ、「わたしのめざす喧嘩」については、>> 13でいってますよ!