お話がちょっとずれちゃうのかもしれませんが、
実は俺たちの知らないところで時間が逆行したりエントロピーが収束してるかもしれなくね?
私も同じ疑問にあることをきっかけに思い当たりました。
きっかけはおばあちゃんの認知症です。彼女は「昨日の晩御飯のことがはるか昔、しかし幼児期のことや青年期のことは、まるで昨日のこと」のように思い出すのです。
周囲は彼女のことをボケた老人だと扱います。しかし、本当はおばあちゃんの時間間隔が正しいのかもしれないと想像したのです。
なぜ、はるか昔のことが昨日の出来事であってはいけないのか?
そして昨日の出来事が、実ははるか昔の出来事だったかもしれないのです。
我々は連続的な運動の狂信者です。昨日小さかった芽が少しずつ成長していく様子には、何ら疑いを持ちません。しかし、2メートル近くまで成長し、花を咲かせれば誰もが異常だと疑いを持つ。
ピカソは横顔を描くとき、見えない正面の顔を描いてはいけないのかという疑問を持ち、キュピズムを完成させたと聞いたことがあります。エントロピーが物理的なお話であるのは承知していますが、もう少しこの連続の正当性に疑問の目を向けてみてもいいのではないかと考えた次第です。
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