>> 36
えーと、あなたはとても頭が良いと聞いているので、普通に答えます。分からないことがあったり俺に説明不足があったりしたら聞いてね。
反論の前に「証明」というのが法律上の用語としても存在することについて確認しとく。あなたも「カンペキに証明する」って言っていることだし、「命題が真である・間違いないと明らかにすること」という意味で使っていいよね…?
反論は2つ。
1.主張というのが相手が納得することを前提にはしていないため、主張内容が客観的に正しいという事実がなくても、主張自体は成立すること。つまりいかなる場合にも主張すること自体に証明の必要性は生まれないこと。
2.演繹法の論証でさえも元をたどれば公理という帰納法の推論が存在する。つまり我々は仮定演繹法を受け入れている。このように、帰納法による推論の妥当性が見受けられれば、第三者にも推論を真であると仮定してもらえるわけだ。しかしこれは命題が正しいことを証明したわけではない。我々の行っている証明は、数学上のものでさえも「ユークリッド幾何学」等の仮定の上で成り立っていることを忘れてはならない。
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俺は頭わりぃからムズカシーことはよく理解んねーんだけどよぉ
法律用語としての「無実の証明」については、原告や検察が出した証拠に対して無実を主張するとき、何らかの手段で反証する必要があるよな。
「原告側の出した証拠は不十分である(有罪かどうか不明である)」と主張する場合は具体的に無実を証明する必要性も無いけど、「アリバイがあるので無実である」を主張する場合は証明する必要があるはず。
それって現代の論理の常識からすれば詭弁なんですか?
推定無罪ってのは論理的な正誤を担保してるわけではないと思うんだが。
・・・というのが1つ目の意見。
そして『無であることのカンペキな証明』については、到底不可能だと思ってるよ。
三角形の内角の和が180度なんてのも、言ってしまえば単なる信仰・・・いわば公理を教典にしたユークリッド教みたいなもんだからな。
「数学的には正しい」とか「法的には正しい」とか教典を絞ることでカンペキの近似を得ることくらいしかできないだろうね。敬虔な数学者であればあるほど教典に懐疑的な目を向けるのは面白いところではある。
いや「法的用語としては使ってないことが読み取れるよな?」っていう話をしたんやぞ。前半のレスに関してはそれ以前の話をしてんのやで。
2つ目の意見に関してはおんなじことが言いたい、てか俺がここで言いたかったのそのことやで。
なんか「カンペキな証明」だと周りで見てるやつらが理解できなさそうな気がするから補足を。
「この命題は真であると仮定したら、証明できますよね」ってことよ。