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無の証明は本当にできないのか / 4

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霧雨 2019/11/17 (日) 18:37:54 >> 3

あ、バレた?
俺がまだ

観測しているものが存在するのか否か

については是も否も述べてないこと。
観測できるとも言っているし、認識できるとも言っているが、
だからと言って存在するかと言われると別問題。

まあ人間の認識というのはガバガバなもので、

俺が小2の頃に生で見て感動した水戸芸術館も、今となってはなんの感動も及ぼさない。

この現象、人間側の都合でものの見え方が全く違う…という、既に議論され尽くした内容の話に繋がってしまうんだけど。

別の例を出すと、盲目の恋。
初恋の相手にどうしようもないくらいの恋愛感情を寄せて、毎晩おかしくなりそうだった。決して話しかけることはできない隣のクラスのあの子だ。宿泊学習の夜中にみんなが好きな子をカミングアウトしている中、自分だけが「は?いねーし」と強がっていた(もしくはカモフラで「クラスで一番ブスなアイツが好きだ」と言っていた)頃の、あの誰にも言えない恋愛感情。

同窓会で久々に再開した時にはなんの感動もない。ただただそこにそいつがいるだけ。この盲目の恋はいつどうやって覚めてしまったのか。

はじめから存在しなかったのではないか。

過去すらも観測できない。あるのは自分の中にある記憶(そして、人によっては付けているかもしれないちぐはぐな日記)。

俺が絶対に存在していると自信を持って言えるのは、今紛れもなく思考をしている自分自身と、自分が今実感している周囲の存在だけだ。

そして、その二つとも決定的な証拠を他人に提示できない(おそらく不可能)ことがもどかしくてならない。
提示できないのであれば、存在しないと言われても仕方ないのである。

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