半分くらいは俺でも知ってたし、話は理解したつもり。
ただ賛同できない部分がある。
何次元であれ、あくまで空間の幅が広がるだけであるのに、なぜ時間の介入する余地があるのか…という話だ。
空間と時間が別物である以上、時間を座標軸に採用するのはどうも統一感がない。
座標軸はあくまで空間であるべきなんじゃないか?
x軸もy軸もz軸も単位がメートルであるのに、w軸だけ単位が分なのか?中学でよく出題されるような水槽に水を入れる問題であれば縦軸と横軸で単位が違うことも頷けるが…
確かに、単位を統一しなきゃいけないのかと言われるとそこまでは分からないし、
その考え方が面白いとも思うが…
そもそも空間の話に時間を持ってきていいのか?という疑問が拭えない。
観測し得ない物は存在しない派だが、想像上では万物が存在でき得るとも思ってる。
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いま俺たちが日常的に扱ってる時間(距離÷速度)というのは
1次元の線分や2次元の面などと同じで想像上の概念なのは分かるか?
分や秒という単位は、太陽が沈んでから元の位置に戻ってくるまでの周期やセシウム原子時計の運動を元にした「現象を割り算した結果の数値」に分とか秒とか名付けただけの人工の概念なので、単位の違いはあまり気にする必要はないよ。
メートルも同じく人工概念です。
というわけで、想像の話をします。
イメージしてくれ。もし俺たちが「2次元の世界の住人」だったとしよう。
俺たちは、奥行きと高さしか認識できない。
( ´_`).。oO(目の前に四角形があるなぁ)
しかし、この長方形は重さが少しずつ増えていき、そのあと少しずつ減っていく変化を繰り返しているとする。
そこで棒人間くんはこう考えるわけだ。
(?´_`).。oO(もしかして・・・世界には俺たちの知らない3つ目の座標軸が存在していて、この四角形はその方向に変形しているから重さが変わっているのでは?)
気力のない絵で申し訳ないが、2次元の世界の住人である棒人間くんはこの緑の破線部分(Z軸)を想像するわけだ。
そして2次元の思想家たる棒人間くんは、Z軸という想像上の座標軸に対して「時間」と名付け、最小値から増え始めた四角形の重さが元の重さに戻るまでの周期を「1年」と名付け、それを12で割り算したものを1ヶ月と呼び、さらに割り算を重ねて分や秒といった単位を作り出すに至るわけだ。
棒人間くんは2次元の世界の住人であるにもかかわらず
「高さ/奥行き/時間」の3つの軸で作られる3次元の世界を想像することに成功している。
この棒人間くんのエピソードを『3次元の世界に生きる俺たち』に当てはめてみるとイメージもつかみやすくなるなずだ。俺たちは3次元しか知覚できないので「4本目の軸が加えられた図」を描き起こすのは困難なわけだけど、棒人間くんが重さの変化から未知の座標軸を想像したのと同じように、俺たちも太陽の動きなどから時間という概念を想像し、それを4本目の座標軸として想像することは可能なはずだ。