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詠み人知らずよ、俺と一戦やらないか? / 180

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KANAME 2019/12/03 (火) 02:21:27 修正

>> 179

単刀直入に「質問」と「回答」を引用すればいいじゃん。
なんでそんな避けるの…。

読みやすさの基準が人によってどのように異なるのか。
俺のアドバイスが「あくまで一般かそれ以下向けに話すときの話し方」に限定される理由は?
論理的整合性や論理的な正確さを読みやすさの基準にする場合に、俺の言ってる表現方法がどのように通用しないの?

その説明って書いてあるの?

見当たらないんだけど。
特に説明する気がないということなら別にそれでいいんだけどね。

ただ、「なぜ俺の質問に対して関係のない話をし始めたのか」という残った疑問はやっぱり解消したい性分なんだよね。
なので今回だけは特別に俺が提示してあげよう。


>> 82

すべてはここから始まったのだ。

質問1:「オーディエンスに見せるだの魅せるだの」ってまさしく論理の領域じゃないのか…な?

回答1:見せたり魅せたりするのが論理に基づく行為って意味で言ってるのか、論理を見せたり魅せたりするって意味で言ってるのか、どっち?

まずこの段階で、論理やその他文字情報の見せ方について、より見やすくする行為を分析することも論理の領域として扱うことに問題ないよねって話をしている。

そのうえで

質問2:それを切り分ける意味ってあるのか…な?

回答2:切り分ける意味は2つあります。
まず1つめ。さっき反証可能性の話をあげたけど、

はいストップゥ。
それって>> 77とか>> 78のこれだよね。

順序に関しては、一応俺の認識として、批判は立論全体に対するものではなく立論のパーツに対するもので、反証可能性的な認識をしてた

うんうん。
わかるよ。

「パルスは一方的に話をする癖がある」ということを何らかの根拠に基づいて立論した場合に

「パルスがパルスであること」や「一方的か否か」や「癖があるかどうか」について各パーツごとに批判する形をとるということだよね。

だから

相手のレスポンスの順序に応じて断片的に返してたけど、確かに一気にまとめた方が周りからは読みやすい

ということだよね。
つまり批判箇所を細分化するもののまとめられないから散文になりやすいということだよね。

オーディエンスに見せるだの魅せるだのじゃなくて単純に論理だけで考えて、相互で論理的に昇華させる論争をやってたときのクセなんだろうけど、今後は掲示板に合ったやり方になるように気を付けるね。

それに対して文章の見せ方についても論理的に考えてより見やすい構文になるようにすればいいんじゃないか、という旨の質問だったわけ。
「論理で考える対象」に「文章の見せ方」があってもいいでしょう?と。
切り分ける必要ないよね?と。
そう訴えかけてるわけだ。

むしろ今まで考えたことなかったのか?と思ったくらいだ。

そして

あ、ごめん。「後付けは気を付ける」って言った矢先悪いんだけど、俺は抽象的な論理から演繹的に展開する思考スタンスだから、具体的事例を後に置いて後付けに見えるときあるかもだけど、極力抽象的な論理と具体例を同時に示すようには心がけます。

と追記されてるわけだけど。
まずここでわからなかったのは、「極力抽象的な論理と具体例を同時に示せない理由」が「抽象的な論理から演繹的に展開する思考スタンスだから」になってるんだけど、そのスタンスだからといって必ずしも「具体的事例を後に置いてしまう」てわけではないよねって話。
インプットとアウトプットって別だし、具体的事例をどこに置くかは選べるはずだよね。
そして何より「抽象的な論理」と「具体例」をどのように書き連ねるかが文章力が発揮されるポイントだと思うんだけど、結論としては「抽象的な論理から演繹的に展開する思考スタンスでもアウトプットによっては抽象的な論理と具体例を同時に示ちゃう」よね。
だからそれ理由になってないのよ。
強いて言うなら「アウトプットがヘタだから同時に示ないことがある」というふうに解釈できてしまうわけだ。
おそらくパルスくんの話が人に通じにくいのはそういう文章力のなさに起因してるんじゃないか?
と思って「文章の見せ方について論理的に考えて話を通じやすくしたほうがいいんじゃないか」ってある種提案してるわけ。

で、話戻すけど

主要仮説にフォーカスを置くのも当然大切で、

うん。
大切だね。

それこそ具体例の提示が可能か(具体例の存在有無に関わらず)による結果論的な批判が必要なわけなんだけど、

うんうん。
必要だね。

でも補助仮説にフォーカスを置くこともすごい重要なわけよ。

おう。
そうか。

扱ってる論題が現実の結果として視覚化・体現化される訳ではないものだったりすると、むしろ補助仮説の方が重要なわけで。

へぇ〜。
そうなんや。
聞いてないけど。

理由は多分分かると思うけど一応言っとくと、補助仮説の崩壊が一部分でも起こればその論理って破綻するし、

はいはい。
そうだね〜。

その時主要仮説に対する反証となるソースが存在しないから。

(この話、俺の質問と関係あるのか…?)

じゃあ補助仮説に対する反証をしていきましょうね~ってなったときに、部分に対する反証だから、各パーツを分解して捉える必要があるよね~ってこと。

言いたいことはわかるんだけれども…。

この補助仮説に対する反証って、具体的にはどんな状況かっていうと、「ソースの妥当性・信憑性の検証」とかだね。

はぁ。

じゃあ2つめ。

え?

ちょっとまって。
ストップストップストップ。
パルスくんの思考の仕方について解説されました。
で?

別にそういう思考の仕方はそれはそれとしてやればいいけど、「文章の見せ方」に関しての論理的考察は共存可能ですよね…。
どのような問題に対してどのような思考の仕方を採用するかは任意なんだし、まったくと言っていいほど「文章の見せ方について論理的に扱わない理由」になってないけど。

俺の質問への回答はおろか一方的に特定の思考の仕方の説明をしただけじゃねーか。

何言ってんだマジで?
ってなるのが普通だよね。
俺の気持ちわかってくれた?

俺は普段扱う論題が社会問題とかじゃないし、扱うとしても政治は推論上の蓋然性に基づく評価が重要だという立ち位置なの。

いやだからね。
普段扱うかどうかは知らないけど、社会問題にせよ文章の見せ方にせよ論理的に考えることは可能だろ?
その中で暫定的にでもいい結論を導き出せば、「話が通じやすくなった」ということが現象として起こるかもしれないだろ?
シンプルに思考の垂れ流しみたいな連投やめて話をわかりやすくまとめるだけで見やすくなるだろ?

具体的にどんな論題扱うかっていうと、例えば(クオリア)とか(LINE民の慣習的制度の構造や、それに於ける概念や認識)とかいう思考上のもの、要は理論化学の概念を化学以外の哲学に拡張した上で成立する話なのね。

聞いてねーよ。

んで数学的宇宙且つ理論化学みたいな思考回路で話を扱う時って、さっきも言ったけど論理は演繹法で展開されるのよ(材料は帰納法だったりするけどね。)これって、分解する意味の1つめで言ったことにも繋がるんだけど、自分自身での補助仮説の検証だったり、相手に対する補助仮説の批判だったりが絶対必要なの。
この、上記の2つの理由で、意味があると考えてます。

…………。


まとめ

質問2の一つ目の回答
「ぼくはこういう思考の仕方を採用してます」

質問2の二つ目の回答
「ぼくは社会問題とかよりもクオリアみたいな話題が好きで、そういう問題にアプローチするときはかくかくしかじかの検証が必要なんです」

うん。だから、答えになってねーから。

もっと言うと、お前がどんな思考を採用していて、どんな話題が好きであれ、「文章の見せ方について論理的な領域で是非を問うことはできるだろ」ってことで切り分ける必要ねーじゃん。
論理の対象として扱ってもいーじゃん。

オーディエンスに見せるだの魅せるだのじゃなくて単純に論理だけで考えて

これやぞ?
「単純に論理だけで考える」という対象に「オーディエンスに見せるだの魅せるだのの行為」を加えて「見やすく、わかりやすく、話が通じやすく書く努力」をしてみればいいじゃねーか?

…って話だぞ?


上智大学の哲学科のやつ。

その人がどの文章に対してどのように言ってたのか具体的に説明できないのか。
つまり聞きかじりってことだよな。

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