利便性が高くなったことで文字情報の出し入れ(表現)が画一化されたっていう時代的制約の影響は大きい。
あとは自分の発言に責任持てないみたいな。ラジコン走らせて自爆テロ起こしてワンチャン相手が沈めばそれでいっかって考え方の奴は多い気がするな。
とは言ってもインスタント性を別に否定はせんよ。現に俺はクックパッド論法をよく利用して喧嘩する。
既存の論理体系を応用したほうが省エネで効率的だし、それはそれで三國無双みたいに雑魚を一層するのは楽しい。
もちろんそれじゃ通用しない相手に出くわしたときには純粋な力比べや幻術の掛け合い、重火器持ってくるっていう別の楽しみもある。
弱者が辛うじて対抗できる手段として考案されたのが「晒し」「同調圧力」「無記名投稿」などであってそのほうが「効率いい」から依存しちゃったってだけ。
つまり当事者間の言葉遊びにゲーム性を見出すんじゃなくて、ゲーム外から論理や煽りを何かしらの批判を裏付けるための道具として使うのが主流になったんだ。
喧嘩師ではなく、評論家もどきがいかに手を汚さず相手を批評するか、便乗するか、みたいなシーンが散見される。
だからいざ対峙すると被弾することを極端に恐れる。
要するにこの「恐れ」ってのが昔の時代で言えば「ワクワク」に該当するんだと思うんだけど、主体性に価値を抱かないのはこういう認識の違いに起因してるものだと思うね。
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