言論の自由(表現の自由)はあくまで責任とセットである、というのが1点目。
極端な例としては、相手を脅迫したり名誉や信用を棄損するような言論は保障されていません。
ビートたけしの発言に違法性があるかどうかは司法機関が判断することです。
違法性が認められれば、とうぜん然るべき責任をとらされます。
ひとまず「司法は違法性を認めなかった」と仮定して話を進めます。
言論の自由はビートたけしの発言を読んだ人たちにも与えられている、というのが2点目。
ビートたけしの意見に賛成する権利と批判する権利のどちらも認められています。
発言を聞きつけた愛国的な日本人がビートたけしを批判するのもその人の自由であり
韓国人が「彼の言っていることは正しい!」と賛同するのもまた自由です。
なお、当然これらの自由も司法により制限される場合があります。
そもそも憲法は国民の権利を守るため政府に課される内容である、というのが3点目。
私人相互の関係において憲法は直接作用しません。
言論の自由が直接的に保障しているのは「国民は政府に対して自由に意見を述べても良い」という内容です。
ただし、私人相互の間においても、片方の当事者の人権が実質的に脅かされるような場合には、憲法が間接的に作用することはあります。
つまり、ビートたけしの自由が実質的に脅かされている or ビートたけしが他者の自由を実質的に脅かしている と司法が判断した場合、憲法はその自由を守るために機能します。
この矛盾した状態を解決するためにも
「社会的制裁」の主体は誰なのでしょうか。
- 番組への出演が取り消される
- 活動自粛へと追い込まれる
少なくともこの2点について、制裁行為の主体となるのは番組制作会社だと思うのですが
「ビートたけしの発言を批判する国民」と「キャスティングを避けてビートたけしを干すTV局」はそれぞれ別の存在です。それぞれ別の思想により別の権利を行使していると思うのですが。
いろいろごちゃ混ぜになってるので矛盾があるように錯覚しているだけだと思います。
この状態は果たして健全と言えるでしょうか
さきほど「矛盾しているわけではない」と言いましたが、不健全という点においては同意です。
そこで関連してくるのが>> 294に書いたロビー活動の話です。
これは極端な話ですが、竹島を開発したがっている韓国企業が「北野さん、竹島は韓国領なんですよ。なぜなら~~」とビートたけしを説得し、彼をロビイストとして登用することは法律上可能なわけです。
もちろん、その依頼を受けるかどうかは「ロビー活動の見返り」と「キャスティングされなくなるリスク」を天秤にかけてビートたけしが自分で決めることになりますが、法律上は可能なわけです。
逆に、日本の団体がチャン・グンソクを説得して竹島は日本領だと主張するロビー活動を依頼することも可能です。
今の日本人の感性では「工作員ってことか?卑怯な手段だな・・・」と思われがちで、その美意識はとても素晴らしく世界に誇れるものだとは思いますが、悪く言えば平和ボケです。
『他国は次々とそういうことしてくるかもしれない、そして日本が出遅れているだけで世界的にはそういうのが常套手段なんだ』という不安を、我々はもっと強く自覚すべきだと思います。
政治家が内々で汚れ仕事を引き受けてるだけでは間に合わない時代が既に到来しています。
政治的発言をした芸能人が制裁を受けてしまう不健全な社会を是正する必要があることには同意しますが
そのための手法は「社会的制裁に根拠を与える」ではなく「ロビー活動に透明性を伴わせる」であるべきだと俺は思います。