「具現化された倫理は純粋な倫理と切り離すことが可能」(>> 175)ということで、このように切り離した「具現化」の話に加えて、もうひとつ話しておきたいことがある。
「純粋な倫理」において、もし「到達点」の思考が人類の共通認識になった場合の話だ。
ここでは、「ユートピア」と言えばいいのかな?
おそらく、戦争はなくなる。
差別もなくなる。
究極的には、好き好んで争うということをしなくなるだろう。
なぜか?
答えは出ているし、語るだけ不毛だからだ。
足し算の答えについて議論するような人がいないように、ここで行われている議論もそのレベルの自明として取り扱われる世がいつの日かくるやもしれん。
そのとき、画一的な社会が訪れ、「個性」や「芸術」は死んでしまうのだろうか?
これ、もしかして「ディストピア」じゃね?
ちなみに、俺が小学三年生のときに考えていたことだ。
よろしく頼む。
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