>> 166
「流石ですな。見事な解答、有難うございます」
かの天才が同時に天災であり、且つ変人であることは承知している。それを思えば、彼がその計算能力を十分に発揮した上で、ストレートに結果を投げつけたことは、予想の範囲内。
しかし、合理性だけで人は図れないとは。全く同意するが、それ故に、芸術家として何者にも止められない暴走機関車にも刺さろう、とは思ったのだが。
>> 169
これである。まあ、此方も予想の範囲内。描くことを止めはしないだろうが、通報されるような振る舞いを減らす方向へ持っていくことには成功した。
「可能なら、断りなく描くこと自体を避けられた方がよいかと思いますな。現代には肖像権やプライバシー保護の観念がありますので」
しかし、難しい問題である。旧世界における戦場カメラマンのようなものだ。其処にあるものをあるがままに写そうとするなら、自らの存在を悟られてはならない。が、それによって周りや撮影・描写対象が迷惑や苦痛を被る時、果たしてその者は、戦場の現実を/真実の愛を伝えることを破棄して、相手を助けるべきなのだろうか。
倫理学者が未だに葛藤する類の問題である。強いてこの場に即して言えば、それはもう、「個人の感性」によるということになる。罪を犯せば裁かれるのは当然だ。だが、罪として露見しない限り、あるいは罪として認識されない限り、裁かれるべき罪は存在しないも同然である。特に、倫理観を使命感や欲が上回る、彼のような人種の場合は。
無論、自分は人に偉そうな言葉を垂れられる人間ではない。それとなく察した彼から、同類としての目線を送られるが……強ちそれも間違ってはいない。結局の所、自分も偏執狂だ。失われることを恐れる、それだけの小さい男だ。
「……まあ、否定はしません。俺も、そういう生き物ですから」
>> 170
さて、しかし、まだKBECの御仁は此方を睨んでいるだろうか。何やら此方の態度から無駄を悟ったようで、一安心といったところだが。
目の前の芸術家に諦めの目を向けているあたり、日頃から苦労していることが見て取れ、ご愁傷さま、という気分にもなっていた。
しかし、ノイマンの言葉を聞いてから、突然呵々大笑したのには、御幣島も驚かされた。あれは、「言いたいことをズバっと言ってくれた」爽快感からだろうか。うん。それは分かる気がする。
ともあれ、去るというなら引き止める所以もない。
「……ご忠告、感謝します。では、お気をつけて」
小さく手を振って、怖じ気のするような、そんな目を見送った。