1911年7月にキリコはパリへ向かう途中、トリノで数日間過ごす。トリノでキリコはトリノの広場やアーチ状建築の「形而上学的形態」(トリノにはきわめて特徴的な全く同じ長いアーケードの建物「ポルチコ」がたくさんあった)に深く心を突き動かされる。またトリノは敬愛するニーチェの故郷だった。(「形而上学」とは、世界の根本原因、物や人間の存在の理由や意味などについて物質ではなく理性的な思考で解決しようとする形式的な学問であり、哲学である)
1913年、キリコは、サロン・ド・インデペンデントやサロン・ドートンヌなどで作品を展示。そのときにパブロ・ピカソやギョーム・アポリネールらがキリコに関心を持ち、初めて作品が売れた。売れた作品は「赤い塔」だった。そのせいか、1913年ごろは塔を主題にした作品が多い。
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