マルク・シャガールのお部屋です。
写真は、ニースにあるシャガール美術館。
898a00525c
ぐりりん
通報 ...
【 シャガールが担当したパリ・オペラ座の天井画 】
「アダムとイヴ」
シャガールすべての作品において、鑑賞者の注目を集めた大きな要素は色使いである。シャガールの色は生き生きしている。
彫刻的であり、ダイナミズムに溢れ、彼の作品を目の当たりにするとボリュームを感じるものである。ありのままの自然を写し取る自然主義的な色使いではなく、「運動」「面」「リズム」などの印象を鑑賞者に与えた。
ピカソはシャガールについて次の様に話している。
「マティス亡きあと、シャガールのみが色が何であるかを理解している最後のモダニストだった。シャガールにあった光の感覚はルノワール以来誰も持っていなかった」
私(ぐりりん)個人としては、この構図に「不安定さ」と「愛情(ハート)」を感じている。
「サーカス クラウンアンドダンサー」
宙を舞うアクロバティックな人物像を描くシャガールに、サーカスをテーマに版画(リトグラフ)を制作するよう依頼したのは画商ヴォラールであり、その目に狂いがなかったことを本作品は明らかにしている。
ピエロ、曲芸師、動物たちが躍動する夢幻の空間は、まさにシャガールの描く世界そのものであり、シャガールはサーカスの登場人物に自らの姿を重ね、サーカスの舞台に自己の人生を見ていたのであった。(『シャガール 私の物語』図録、2008)
「サーカス ファンダンサー」
「青いサーカス」
「私と村」
夢のような農村風景を都会的なキュビスムで描いている。
「7本指の自画像」
シャガールがロシアから前衛芸術の中心地パリへ移った直後に描かれた作品。
パリという近代的な世界に身を置いている伝統的なユダヤ文化で育ったシャガールの複雑な心性を表現している。
この頃は、シャガールがキュビスムに影響を受け始めた時期でもある。そのためシャガールの身体や室内などはキュビスムや抽象絵画に影響を受けた幾何学的な形態で描かれている。しかし、キャンバスの絵は対照的に具象であり、ファンジックな優しいタッチで描かれている。
つまり、パリという現実世界と故郷ロシアのノスタルジックな世界の狭間が並列化していることが分かる。
なお、シャガールの左手の指は7本あるが、7は1887年7月7日に生まれたシャガールにとって大きな意味があるようだ。
「誕生日」
描かれている男性はシャガール本人、女性は1908年にサンクトペテルブルグで会ったシャガールの最愛の妻ベラ・ローゼンフェルドである。この作品はベラと結婚する数週間前に制作されている。
「白襟のベラ」
ベラ・ローゼンフェルド・シャガール(1895年12月15日-1944年9月2日)はユダヤ系ベラルーシの著述家。マルク・シャガールの最初の妻。1917年の『白襟のベラ』をはじめ、多くのシャガールの作品のモデルになっている。
ナチスドイツがフランスに侵入すると1939年に南フランスへ避難。その後、二人はアメリカのニューヨークへ亡命。しかしベラはウイルス感染にかかる。戦時中であったこともあり薬が不足し、ベラは治療を受けることができず、1944年にアメリカで死去。
気落ちしたシャガールは数ヶ月間制作を停止する。絵を再開するとシャガールはベラの記憶を留める絵画を描き始めた。
1945年にナチスの強制収容所で進行していたホロコーストの報道を聞いて、ベラは数百万のユダヤ人犠牲者とともにシャガールの心の中にとどまることになった。