・1939年に、キリコはルーベンスの影響を受けてネオバロック形式へ移行する。しかしキリコの形而上絵画時代以降のあらゆる作品は、決して高い評価がなされることはなかった。キリコは自分に対する悪評に憤慨し、後期作品は、成熟した、良い作品だと思っていた。
にも関わらず、**キリコは形而上絵画時代の様な成功と利益を得るために、過去の自己模倣作品を制作して販売。偽造作品の多くが公共および民間のコレクションに入っていたため、非難を浴びた。
1948年、キリコは、ヴィネツィア・ビエンナーレに「不安を与えるミューズたち」の贋作を展示したとして抗議される。1910年代に制作した形而上絵画のレプリカを多く制作し、それらのレプリカには、実際の制作年とは異なる過去の年号を記入していたという**。
しかし、キリコが贋作を展示したのは、過去の作品ばかりが評価され、高値で取引されることに対する復讐だとも言われる。
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