• 525
    Q21169 2025/02/06 (木) 14:30:43 91049@9ea7c

    課題3
    リンゴを例として挙げる。リンゴは人に食べることをアフォードし、人はそのアフォーダンスを知覚することで、食べるという行為を起こす。一方で、熟していない黄色のリンゴは、過去の経験から黄色に酸味を連想する人は食べることを躊躇する。黄色のリンゴは人に酸味をアフォードしますが、このアフォーダンスを知覚できる人と出来ない人が存在し、知覚できない人はこのリンゴを食べてしまう。ここで、歯列矯正をしてる自分にとって食べられるものと食べられないものの違いを元に説明する。前提として歯列矯正をしている間は口を開けにくい、歯の痛みが強い、矯正器具に食べ物が引っかかるといった、食事中に注意することがいくつかある。小さく切られているもの(または柔らかい肉や魚など箸などの道具を用いることで細かくすることが可能なもの)以外は基本的に食べることが困難である。つまり自分にとって食べられると認識できるものは、小さくて柔らかそうなものにのみ限定される。同じリンゴでも、そのまま食べる場合や、柔らかく煮てコンポートにして食べるなど様々な調理方法がある。自分にとって前者は痛そうだと知覚し、後者であれば食べやすそうだと知覚する。通常であれば、リンゴは硬くて食べられないとは思わない。この感覚が自分の個人的な知覚に「痛そう」という感覚を与える。アフォーダンスの知覚には経験が必要な場合があるといえる。

    593
    satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:17:19 f5841@5a7e4 >> 525

    18点差し上げます。

  • 526
    Q24108 2025/02/06 (木) 16:06:16 3bd0c@86cb5

    課題3
    歩く道を例にすると、自分たちは陸地の表面がほぼ水平であり、平坦で、十分な拡がりを持っていて、その材質が固いと判断されたならば、そういう道を選んで歩いている。行動するときには、無意識であるにしろ、環境がどのような行動に向いているのかという情報を環境の中から得ているのであると考えれる。また別の例としてドアの前に立ったとする。押すべきか、引くべきか。取っ手が平板な場合、それは押すことをアフォードする。取っ手がリングになっている場合、それは引くことをアフォードする。したがって、部屋に入る側の取っ手がリングなら、出る側の取っ手は平板状にするのがアフォーダンスの理論に基づいた自然な対応付けとなる。このようにアフォーダンスを上手く利用すると、使いやすいデザインが生まれる可能性がある。しかし、この法則を無視して両方リングにしたりすると、押したり引いたりしている光景に出くわすことになる。

    594
    satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:17:55 修正 f5841@5a7e4 >> 526

    15点差し上げます。

  • 527
    Q24030 2025/02/06 (木) 16:49:32 88a45@57058

    課題3
    椅子を例に挙げる。椅子をも見ると人は、この椅子には座れると判断する。これは椅子の座る面積の広さや椅子の足の長さを見ることでこれは自分でも吸われるものであるか、そうでないかを判断する。もしその椅子が自分の足の長さよりも長ければ足が浮いてしまうと感じる。座る面積が広いとゆったりと座れると感じ、背もたれがあるいすなどだと力を抜いて座れると判断する。この知覚は、志うが持つアフォーダンスを人間が直接知覚することで生じる。実際にいろんな椅子に座ってきたが、座る面が狭く足が短い椅子であると体が違和感を感じてしまうため、長時間の集会などには不向きであった。一方で面積が広く足が自分の足と近いサイズであると違和感を感じることなく長時間座っていることができた。これは、知覚とは単なる視覚的な情報処理ではなく、椅子の形状と自分の身体的特性の相互作用によって、座るという行為の可能性が直感的に理解されるものであると言える。

    595
    satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:20:07 f5841@5a7e4 >> 527

    18点差し上げます。

  • 528
    F24036 2025/02/06 (木) 19:48:29 709ac@2be20

    課題3
     公園の石や岩、学校の机などにおいて、それが座れるかどうかの知覚は、座ろうとする人の身長と対象物の高さや形、大きさの関係により生じる。身近な例として、学校の机などが良い例として挙げられる。学校の机は、腰掛けても痛くない平面であり、自立して体を支えることのできる形、そして、足が多少浮く程度の人によってちょうど良い高さであるため、机に対して座るものとしての認識がなくても、机から発せされる情報を知覚することで、机についつい座ろうとしてしまうのだ。しかし、ちょうど良い高さとは人によって異なってくる。身長が低い人の場合、座るに適した高さではなかったとしたら、椅子との間にはアフォーダンスが存在しない。だけども、身長が高い人からすると、身長が低い人が座ると認識できない机であっても、その机を座ることができると認識し、椅子との間にアフォーダンスが存在する場合がある。そのため、無作為に、大きさや形が異なる机を並べた際に、人は自身が座るに適した高さや座る際に負担にならないような形をした机をまるで椅子の如く座れるものだと認識し、座るという行為を行うことができるのである。

    596
    satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:20:42 f5841@5a7e4 >> 528

    25点差し上げます。

  • 529
    G240990 2025/02/06 (木) 20:41:17 396f1@fcdaa

    課題3
    ドアを例に挙げる。例えば目の前のドアに棒状の縦長の取っ手がついてあった場合、ドアを引くという行為がアフォードされます。プレート型の押し版がある場合は押す行為がアフォードされる。これらは取っ手に手をかけやすく自然に引くという動作が誘発されることや、握る必要がなく押しやすいデザインであるために起こることである。
    ドアの素材についても、軽い素材であれば目の前のドアは軽い力で押したり引いたりすることができると感じ、重厚な金属製のドアであれば力を入れて押す、または引く必要があると示唆します。また、環境の配置もアフォーダンスをもたらす。ドアの前に階段があれば引くよりも押すことのほうが合理的であると感じるためである。

    597
    satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:21:15 f5841@5a7e4 >> 529

    15点差し上げます。

  • 530
    F24056 2025/02/06 (木) 21:07:46 aab8f@f95d6

    課題3
    ドアの下をくぐれるかどうかの知覚について自分の身体とドアの大きさの位置関係から説明していく。生態心理学では物を環境と身体を立体の関係によって捉える。ドアの高さと自分の身長だけの関係で「通ることができる」と認知するのではなく、何メートルか前から見たドアの上の高さが自分の認知している自身の身長とどのような関係にあるかということを知覚して判断している。そのため実際の身長とドアの高さがぴったりだとしても、その人が自分の身長とドアの高さをどのように認知するかによって屈むかそのまま進むかの選択が生まれる。身長の高い人がドアにぶつかるという話も、環境と身体の認知によってなされた選択を間違えた結果起こるバグのようなものであると言える。また、ドアも下を通る人を屈ませるまたは、そのまま通らせるという行動を起こさせるはたらきを持っている(アフォーダンス)。ドアを通り抜けるという行動は「ドアの一番上の高さ」と「人間の身体の一番上の高さ」との関係で生じるようだ。

    598
    satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:22:00 f5841@5a7e4 >> 530

    15点差し上げます。

  • 531
    Q240627 2025/02/06 (木) 22:04:49 49505@b938e

    課題3
    公園のベンチに座る体験を例に考える。対象であるベンチを「座るためのもの」と特定するには、平らな座面や背もたれといった形状、地面との適切な高さ、素材感などの情報が視覚や触覚を通じて得られる。また、ベンチのアフォーダンスである「座ることができる」は、サイズや構造の安定性から推測される。これを認識する私の属性として、視覚の働きが対象を区別し、過去の経験が「ベンチとは座れるもの」という理解を形成する。さらに、私の身体的能力(立ち座りが可能であること)がアフォーダンスを実現可能にしている。対象から得られる情報と、それを解釈する私自身の属性が組み合わさることで、「座ることができる」と判断し行動することが可能になる。

    590
    satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:14:40 f5841@5a7e4 >> 531

    投稿する資格がありません

  • 532
    Q24149 2025/02/06 (木) 22:48:39

    私は椅子を例に上げて考えた。例えば、ある椅子を見たとき、「この椅子に座れるだろう」と感じることがある。そのとき、私が使う情報は、椅子の形や高さ、座面の広さなどである。これらは視覚的な情報で、椅子が座るために必要な物理的な条件を満たしているかどうかを判断するために重要。椅子を見て、「座れる」と思う理由は、座面が水平で、座るために十分な広さがあり、背もたれもついているからである。
    また、この判断には自分の体格や座るための動きの能力も影響している。例えば、私の足の長さや腰の高さによって、椅子が自分に合うかどうかを感じ取る基準が変わる。椅子に座るという行動は、私の身体と椅子の「アフォーダンス」によって成り立っている。アフォーダンスとは、その椅子が「座ることができる機会」を提供していることを私が感じ取る力のことである。
    したがって、椅子を見たとき、私の体格や動きの能力といった自分の属性と、椅子の持つ情報が組み合わさって、「座れるかどうか」が自然にわかるということである。

    536
    Q24149 2025/02/07 (金) 13:24:44 修正 >> 532

    すみません課題番号3です。

    599
    satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:22:39 f5841@5a7e4 >> 532

    20点差し上げます。

  • 533
    Q24049 2025/02/06 (木) 23:38:55 e813e@16ede

    課題3
    環境内にあるモノを人が自らの目で見た時に、なぜすぐに「これは〜だ!」と認識することができるのか。それは、その人が歩んできた人生の中で経験、学習してきたことによってモノを知覚することができるアフォーダンスである。例えば、目の前にあるオレンジ色で星が書かれている物体を「ドラゴンボールだ!」と瞬時に認識できるのは、過去の経験や学習を通じて、ドラゴンボールという対象の特徴(オレンジ色、球形、デザイン、大きさなど)を記憶しているからである。このとき、対象を特定する情報は「オレンジ色で丸くて星の模様がある」という視覚的特徴であり、それが「ドラゴンボールである」と判断できるのは、これまでにドラゴンボールをアニメや漫画で見たり人から聞いたりした経験があるためである。また、ドラゴンボールを見たときに「7つ揃えると願いを叶えることができる」と思えるのは、ドラゴンボールがアニメや漫画で見ていて、そういうものであるというアフォーダンスを知覚しているからである。これは私の過去の経験(漫画で見ていた)と関連している。このことから、ヒトは環境内のモノを単に見ているのではなく、過去の経験や身体の特性と結びつけながら知覚し、瞬時に意味を与えているのである。

    600
    satsugakushinri_2 2025/02/08 (土) 23:23:15 f5841@5a7e4 >> 533

    5点差し上げます。

  • 534
    satsugakushinri 2025/02/07 (金) 00:03:40

    [課題3]への投稿は締め切りました。