それに対し問者が「末法の時代」についてこのように鋭く問い返す。
問うていう。さまざまな経や律では、戒律を破るものをきびしく制し、教団に入ることを許していない。戒律を破るものでさえこの通りであり、まして無戒のものはいうまでもないことである。ところが今あらためて末法の時代について論じ、末法には戒律がないという。しかし教団の中にもとより無戒のものはいないのだから、それについて論じるのは、傷もないのに傷ついているというようなものではないか。
さらに『末法灯明記』には次のような事がかかれております。
像法の最後の時の僧侶のあり方はすでに末法と同じである。すなわち末法の時代であれば、ただ仏の説かれた言葉が残っているだけで行もなくさとりもない。もし戒律があるのならその戒律を破るということもあり得る。しかし末法の時代には、すでにたもつべき戒律がないのに、いったいどの戒律を破ることで戒律を破ったといえるものであろうか。戒律を破ることすらないのに、まして戒律をたもつことなどあるはずもない。だから『大集経』には、「仏の入滅後、たもつべき戒律を持たない無戒のものが世の中に満ちあふれるであろう」と説かれているのである。
伝教大師(最澄)の『末法灯明記』にその事が次のように紹介されております。
わたしが世を去った後、最初の五百年間は、多くの比丘たちはわたしが説いたままに行を修めてさとりを得ることが確かであろう。(ここでは初果を得ることをさとりという) 次の五百年間は、禅定を修めることが盛んであろう。次の五百年間は、多くの教えを聞くことが盛んであろう。次の五百年間は、寺をつくることが盛んであろう。最後の五百年間は、争いが盛んになり、仏の教えはこの世から姿を消してしまうであろう。
ここでちょっと経典のお話を少々。
お釈尊様が入滅されて時代が移り変わって行くうちに、次第に仏教が衰退し末法に至っては『大集経』に「白法隠没(びゃくほうおんもつ)」と記されておりまして、お釈迦さまが説かれた教えはこの世から姿を消してしまうであろうと言われております。
お坊さん以上に欲から離れている在家さんも沢山おられます。
しかも今の世では、
在家でもお経は唱えます。
そんなお坊さんに、高いお金を払ってお葬式でお経を唱えてもらっても
ありがたみを観じないんですけど、、、、、
時代が変われば習わしというものも変わるもので、
頭は丸めない、お酒は飲む、ゴルフは楽しむ、高級車を乗り回す、妻をめとる
といった、まったく俗世の凡夫と変わらぬ生活をしている今日のお坊さんに
果たしてどれだけの僧侶としての資質が備わっているのかと
疑問に思うのはわたしだけでしょうか?
が、
しかし
それは、欲にまみれた世界から離れる事で
煩悩から離れた清らかな世界で生きるといった事になります。
お釈迦さまの時代、出家するという事は俗世間をたつという意味がありました。
仏教では縁起を説きます。
教えが変われば真理も変わります。
時代が変われば習慣も変わります。
永遠に変わらずにあり続ける真理などこの世には一つとして存在しないと説くのが仏教の教えです。
zenさんは、パーリ仏典のみを仏陀の教えだと思っておられる立場ですが、天台教学や日蓮仏法では、そのパーリ仏典で説かれているいわゆる阿含の教えは、世俗の真理(世俗諦)と教えられます。
早速zenさんからご意見を頂きました。
>仏陀から継承されて来た習慣ですから仏教徒なら賛否を問うべきではないと思います。
zenさんは、そのようにお考えのようですが、
わたしは考えがちょっと違います。
ChatGPTに聞いてみた。
戒名を亡くなった人に付ける習慣は、いつの時代から起きたのですか?
戒名を亡くなった人に付ける習慣は、日本では主に平安時代末期から鎌倉時代にかけての時期に定着したとされています。この時代に、仏教の影響が人々の生活や死生観に深く浸透し、戒名を授ける慣習が普及していきました。
戒名の起源は、インド仏教における受戒(じゅかい)の儀式に由来します。
中国に仏教が伝わると、この習慣が中国でも取り入れられました。ただし、中国では戒名を生前に授けられることが一般的でした。
奈良時代~平安時代
平安時代末期~鎌倉時代
室町時代以降
成仏への願い 戒名は、亡くなった人が仏の弟子として仏法の加護を受け、成仏するための象徴とされました。
仏教の社会的影響力 鎌倉仏教の時代以降、仏教が庶民の間で広がる中で、戒名が死後の供養として重要視されました。
身分制度との関連 室町時代以降、戒名の位号により身分や社会的地位を示す意味合いが強まり、武士や裕福な庶民の間で戒名の取得が重要なステータスとなりました。
現代では、戒名に高額な布施が必要とされることがあり、形式化や商業化への批判も存在します。もともと戒名は、仏教徒としての信仰や死者への追善供養を目的としたものであり、金銭的な負担が目的ではありませんでした。
戒名を亡くなった人に付ける習慣は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて仏教が庶民に浸透する中で定着しました。本来は仏教徒としての信仰や成仏への願いを象徴するものであり、宗教儀礼としての深い意義が込められています。
現代においては、戒名の意義を改めて理解し、形式にとらわれず故人を偲ぶことが大切です。
AI による概要では、
戒名をつけない場合、次のような点に注意が必要です。
1.お墓がお寺にある場合は、納骨の際に戒名を付けるのを条件とするお寺もあるので注意が必要です。 2.戒名がない場合は、お墓に入れる予定がある場合はそのお墓に入れてもらえない可能性があります。 3.戒名がない場合は、宗教的な儀式を行わないということが前提となります。
戒名をつけない場合は、菩提寺との相談が必要でしょう。
俗世を離れ、仏門に入って仏の弟子となった証としてつけられる名前が戒名で、
本来は生前に授けられるものでした。
そもそも戒名って亡くなった時に付けるものではないって
ご存じですか?
お寺さんと決別した学会では、葬儀にお坊さんを呼びませんから
戒名を付ける事も致しません。
わたしは元、創価学会の人間ですので
戒名に拘りはもっておりません。
そこで問題です。
この場合、
戒名はどうする?
義父も大満足の葬儀でした。
祭壇もわたしがこしらえ、お花や通夜のお弁当も自分達でお店を探して
自分達の手作りの葬儀で兄を送り出しました。
仕事もしていなかった義兄でしたので、お付き合いも少なく葬儀も自宅で行いました。
なので、今回はお坊さんは呼ばずに
わたしが導師をして妻と子供達とで法華経を唱えて
通夜も本葬も自分達で行いました。
お墓も市の墓苑を購入しました。
義父は、「どんだけ金とるんじゃい!」
と住職さんと言い争いをして
お寺と距離を置く事となりました。
妻は2年前に母親を亡くしており、その時、義父方の菩提寺の日蓮宗のお寺の住職さんにお越し頂いて葬儀を行いました。
そんな妻のたった一人の兄妹の熊本の兄が、先日
脳内出血で突然倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
そんなじいちゃんですが、家事は一切やりません。
全部息子の長男さんがやって
じいちゃんの面倒を見てくれてます。
適応検査でいい加減ひっかかって欲しいところなんですが、
余裕でクリアしているようで
困り果てております。
わたしの子供達が
スーパーじいちゃん!
と呼ぶ、未だに運転免許証を返納せずに
元気に車を乗り回している
信じられない程に元気なじいちゃんです。
その妻の実家の熊本には、
来月で100歳になる
妻の父親が独身の長男と二人で住んでおります。
博多の男と非常に相性が宜しいのが
熊本の女性ではないかと言うのが
わたしの実感です。
>> 6←意見はそれぞれですが、わたしの妻の一族の女性に関して言わせて頂きますと、
皆さん豪快です^^
熊本の女性の気質は、こんなふうに紹介されております。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12108190917
しかし、わたしの妻は育ちは博多ですが、実家は熊本です。
知恵袋でもこのように紹介されております。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14251834
博多の人間は、こういう気質なんです。
それに対し問者が「末法の時代」についてこのように鋭く問い返す。
問うていう。さまざまな経や律では、戒律を破るものをきびしく制し、教団に入ることを許していない。戒律を破るものでさえこの通りであり、まして無戒のものはいうまでもないことである。ところが今あらためて末法の時代について論じ、末法には戒律がないという。しかし教団の中にもとより無戒のものはいないのだから、それについて論じるのは、傷もないのに傷ついているというようなものではないか。
さらに『末法灯明記』には次のような事がかかれております。
像法の最後の時の僧侶のあり方はすでに末法と同じである。すなわち末法の時代であれば、ただ仏の説かれた言葉が残っているだけで行もなくさとりもない。もし戒律があるのならその戒律を破るということもあり得る。しかし末法の時代には、すでにたもつべき戒律がないのに、いったいどの戒律を破ることで戒律を破ったといえるものであろうか。戒律を破ることすらないのに、まして戒律をたもつことなどあるはずもない。だから『大集経』には、「仏の入滅後、たもつべき戒律を持たない無戒のものが世の中に満ちあふれるであろう」と説かれているのである。
伝教大師(最澄)の『末法灯明記』にその事が次のように紹介されております。
わたしが世を去った後、最初の五百年間は、多くの比丘たちはわたしが説いたままに行を修めてさとりを得ることが確かであろう。(ここでは初果を得ることをさとりという) 次の五百年間は、禅定を修めることが盛んであろう。次の五百年間は、多くの教えを聞くことが盛んであろう。次の五百年間は、寺をつくることが盛んであろう。最後の五百年間は、争いが盛んになり、仏の教えはこの世から姿を消してしまうであろう。
ここでちょっと経典のお話を少々。
お釈尊様が入滅されて時代が移り変わって行くうちに、次第に仏教が衰退し末法に至っては『大集経』に「白法隠没(びゃくほうおんもつ)」と記されておりまして、お釈迦さまが説かれた教えはこの世から姿を消してしまうであろうと言われております。
お坊さん以上に欲から離れている在家さんも沢山おられます。
しかも今の世では、
在家でもお経は唱えます。
そんなお坊さんに、高いお金を払ってお葬式でお経を唱えてもらっても
ありがたみを観じないんですけど、、、、、
時代が変われば習わしというものも変わるもので、
頭は丸めない、お酒は飲む、ゴルフは楽しむ、高級車を乗り回す、妻をめとる
といった、まったく俗世の凡夫と変わらぬ生活をしている今日のお坊さんに
果たしてどれだけの僧侶としての資質が備わっているのかと
疑問に思うのはわたしだけでしょうか?
が、
しかし
それは、欲にまみれた世界から離れる事で
煩悩から離れた清らかな世界で生きるといった事になります。
お釈迦さまの時代、出家するという事は俗世間をたつという意味がありました。
仏教では縁起を説きます。
教えが変われば真理も変わります。
時代が変われば習慣も変わります。
永遠に変わらずにあり続ける真理などこの世には一つとして存在しないと説くのが仏教の教えです。
zenさんは、パーリ仏典のみを仏陀の教えだと思っておられる立場ですが、天台教学や日蓮仏法では、そのパーリ仏典で説かれているいわゆる阿含の教えは、世俗の真理(世俗諦)と教えられます。
早速zenさんからご意見を頂きました。
>仏陀から継承されて来た習慣ですから仏教徒なら賛否を問うべきではないと思います。
zenさんは、そのようにお考えのようですが、
わたしは考えがちょっと違います。
ChatGPTに聞いてみた。
戒名を亡くなった人に付ける習慣は、いつの時代から起きたのですか?
戒名を亡くなった人に付ける習慣は、日本では主に平安時代末期から鎌倉時代にかけての時期に定着したとされています。この時代に、仏教の影響が人々の生活や死生観に深く浸透し、戒名を授ける慣習が普及していきました。
1. 戒名の起源
戒名の起源は、インド仏教における受戒(じゅかい)の儀式に由来します。
中国に仏教が伝わると、この習慣が中国でも取り入れられました。ただし、中国では戒名を生前に授けられることが一般的でした。
2. 日本での戒名の歴史
奈良時代~平安時代
平安時代末期~鎌倉時代
室町時代以降
3. 戒名の普及理由
成仏への願い
戒名は、亡くなった人が仏の弟子として仏法の加護を受け、成仏するための象徴とされました。
仏教の社会的影響力
鎌倉仏教の時代以降、仏教が庶民の間で広がる中で、戒名が死後の供養として重要視されました。
身分制度との関連
室町時代以降、戒名の位号により身分や社会的地位を示す意味合いが強まり、武士や裕福な庶民の間で戒名の取得が重要なステータスとなりました。
4. 戒名の現代的な問題
現代では、戒名に高額な布施が必要とされることがあり、形式化や商業化への批判も存在します。もともと戒名は、仏教徒としての信仰や死者への追善供養を目的としたものであり、金銭的な負担が目的ではありませんでした。
まとめ
戒名を亡くなった人に付ける習慣は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて仏教が庶民に浸透する中で定着しました。本来は仏教徒としての信仰や成仏への願いを象徴するものであり、宗教儀礼としての深い意義が込められています。
現代においては、戒名の意義を改めて理解し、形式にとらわれず故人を偲ぶことが大切です。
AI による概要では、
戒名をつけない場合、次のような点に注意が必要です。
1.お墓がお寺にある場合は、納骨の際に戒名を付けるのを条件とするお寺もあるので注意が必要です。
2.戒名がない場合は、お墓に入れる予定がある場合はそのお墓に入れてもらえない可能性があります。
3.戒名がない場合は、宗教的な儀式を行わないということが前提となります。
戒名をつけない場合は、菩提寺との相談が必要でしょう。
俗世を離れ、仏門に入って仏の弟子となった証としてつけられる名前が戒名で、
本来は生前に授けられるものでした。
そもそも戒名って亡くなった時に付けるものではないって
ご存じですか?
お寺さんと決別した学会では、葬儀にお坊さんを呼びませんから
戒名を付ける事も致しません。
わたしは元、創価学会の人間ですので
戒名に拘りはもっておりません。
そこで問題です。
この場合、
戒名はどうする?
義父も大満足の葬儀でした。
祭壇もわたしがこしらえ、お花や通夜のお弁当も自分達でお店を探して
自分達の手作りの葬儀で兄を送り出しました。
仕事もしていなかった義兄でしたので、お付き合いも少なく葬儀も自宅で行いました。
なので、今回はお坊さんは呼ばずに
わたしが導師をして妻と子供達とで法華経を唱えて
通夜も本葬も自分達で行いました。
お墓も市の墓苑を購入しました。
義父は、「どんだけ金とるんじゃい!」
と住職さんと言い争いをして
お寺と距離を置く事となりました。
が、
しかし
妻は2年前に母親を亡くしており、その時、義父方の菩提寺の日蓮宗のお寺の住職さんにお越し頂いて葬儀を行いました。
そんな妻のたった一人の兄妹の熊本の兄が、先日
脳内出血で突然倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
そんなじいちゃんですが、家事は一切やりません。
全部息子の長男さんがやって
じいちゃんの面倒を見てくれてます。
適応検査でいい加減ひっかかって欲しいところなんですが、
余裕でクリアしているようで
困り果てております。
わたしの子供達が
スーパーじいちゃん!
と呼ぶ、未だに運転免許証を返納せずに
元気に車を乗り回している
信じられない程に元気なじいちゃんです。
その妻の実家の熊本には、
来月で100歳になる
妻の父親が独身の長男と二人で住んでおります。
博多の男と非常に相性が宜しいのが
熊本の女性ではないかと言うのが
わたしの実感です。
>> 6←意見はそれぞれですが、わたしの妻の一族の女性に関して言わせて頂きますと、
皆さん豪快です^^
熊本の女性の気質は、こんなふうに紹介されております。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12108190917
しかし、わたしの妻は育ちは博多ですが、実家は熊本です。
知恵袋でもこのように紹介されております。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14251834
博多の人間は、こういう気質なんです。