『博多めんたい佛教大学』のホワイト・ボードとして活用して行きます。
楽しく仏教を学べる空間をクリエートして参ります。
わたしは元、創価学会の人間ですので
戒名に拘りはもっておりません。
お寺さんと決別した学会では、葬儀にお坊さんを呼びませんから
戒名を付ける事も致しません。
そもそも戒名って亡くなった時に付けるものではないって
ご存じですか?
俗世を離れ、仏門に入って仏の弟子となった証としてつけられる名前が戒名で、
本来は生前に授けられるものでした。
AI による概要では、
戒名をつけない場合、次のような点に注意が必要です。
1.お墓がお寺にある場合は、納骨の際に戒名を付けるのを条件とするお寺もあるので注意が必要です。 2.戒名がない場合は、お墓に入れる予定がある場合はそのお墓に入れてもらえない可能性があります。 3.戒名がない場合は、宗教的な儀式を行わないということが前提となります。
戒名をつけない場合は、菩提寺との相談が必要でしょう。
ChatGPTに聞いてみた。
戒名を亡くなった人に付ける習慣は、いつの時代から起きたのですか?
戒名を亡くなった人に付ける習慣は、日本では主に平安時代末期から鎌倉時代にかけての時期に定着したとされています。この時代に、仏教の影響が人々の生活や死生観に深く浸透し、戒名を授ける慣習が普及していきました。
戒名の起源は、インド仏教における受戒(じゅかい)の儀式に由来します。
中国に仏教が伝わると、この習慣が中国でも取り入れられました。ただし、中国では戒名を生前に授けられることが一般的でした。
奈良時代~平安時代
平安時代末期~鎌倉時代
室町時代以降
成仏への願い 戒名は、亡くなった人が仏の弟子として仏法の加護を受け、成仏するための象徴とされました。
仏教の社会的影響力 鎌倉仏教の時代以降、仏教が庶民の間で広がる中で、戒名が死後の供養として重要視されました。
身分制度との関連 室町時代以降、戒名の位号により身分や社会的地位を示す意味合いが強まり、武士や裕福な庶民の間で戒名の取得が重要なステータスとなりました。
現代では、戒名に高額な布施が必要とされることがあり、形式化や商業化への批判も存在します。もともと戒名は、仏教徒としての信仰や死者への追善供養を目的としたものであり、金銭的な負担が目的ではありませんでした。
戒名を亡くなった人に付ける習慣は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて仏教が庶民に浸透する中で定着しました。本来は仏教徒としての信仰や成仏への願いを象徴するものであり、宗教儀礼としての深い意義が込められています。
現代においては、戒名の意義を改めて理解し、形式にとらわれず故人を偲ぶことが大切です。
早速zenさんからご意見を頂きました。
>仏陀から継承されて来た習慣ですから仏教徒なら賛否を問うべきではないと思います。
zenさんは、そのようにお考えのようですが、
わたしは考えがちょっと違います。
zenさんは、パーリ仏典のみを仏陀の教えだと思っておられる立場ですが、天台教学や日蓮仏法では、そのパーリ仏典で説かれているいわゆる阿含の教えは、世俗の真理(世俗諦)と教えられます。
仏教では縁起を説きます。
教えが変われば真理も変わります。
時代が変われば習慣も変わります。
永遠に変わらずにあり続ける真理などこの世には一つとして存在しないと説くのが仏教の教えです。
お釈迦さまの時代、出家するという事は俗世間をたつという意味がありました。
それは、欲にまみれた世界から離れる事で
煩悩から離れた清らかな世界で生きるといった事になります。
が、
しかし
時代が変われば習わしというものも変わるもので、
頭は丸めない、お酒は飲む、ゴルフは楽しむ、高級車を乗り回す、妻をめとる
といった、まったく俗世の凡夫と変わらぬ生活をしている今日のお坊さんに
果たしてどれだけの僧侶としての資質が備わっているのかと
疑問に思うのはわたしだけでしょうか?
そんなお坊さんに、高いお金を払ってお葬式でお経を唱えてもらっても
ありがたみを観じないんですけど、、、、、
しかも今の世では、
在家でもお経は唱えます。
お坊さん以上に欲から離れている在家さんも沢山おられます。
ここでちょっと経典のお話を少々。
お釈尊様が入滅されて時代が移り変わって行くうちに、次第に仏教が衰退し末法に至っては『大集経』に「白法隠没(びゃくほうおんもつ)」と記されておりまして、お釈迦さまが説かれた教えはこの世から姿を消してしまうであろうと言われております。
伝教大師(最澄)の『末法灯明記』にその事が次のように紹介されております。
わたしが世を去った後、最初の五百年間は、多くの比丘たちはわたしが説いたままに行を修めてさとりを得ることが確かであろう。(ここでは初果を得ることをさとりという) 次の五百年間は、禅定を修めることが盛んであろう。次の五百年間は、多くの教えを聞くことが盛んであろう。次の五百年間は、寺をつくることが盛んであろう。最後の五百年間は、争いが盛んになり、仏の教えはこの世から姿を消してしまうであろう。
さらに『末法灯明記』には次のような事がかかれております。
像法の最後の時の僧侶のあり方はすでに末法と同じである。すなわち末法の時代であれば、ただ仏の説かれた言葉が残っているだけで行もなくさとりもない。もし戒律があるのならその戒律を破るということもあり得る。しかし末法の時代には、すでにたもつべき戒律がないのに、いったいどの戒律を破ることで戒律を破ったといえるものであろうか。戒律を破ることすらないのに、まして戒律をたもつことなどあるはずもない。だから『大集経』には、「仏の入滅後、たもつべき戒律を持たない無戒のものが世の中に満ちあふれるであろう」と説かれているのである。
それに対し問者が「末法の時代」についてこのように鋭く問い返す。
問うていう。さまざまな経や律では、戒律を破るものをきびしく制し、教団に入ることを許していない。戒律を破るものでさえこの通りであり、まして無戒のものはいうまでもないことである。ところが今あらためて末法の時代について論じ、末法には戒律がないという。しかし教団の中にもとより無戒のものはいないのだから、それについて論じるのは、傷もないのに傷ついているというようなものではないか。
ここぞとばかりに、最澄さんは更にこう言い放つ!
答えていう。そうではない。正法と像法と末法の時代における僧侶のあり方はすべて、さまざまな経典に説かれている。出家のものも在家のものもみなこれを読んでいるのであり、どうして自分のよこしまな生活をむさぼり求めて、国をたもる正しい教えを隠すことなどできようか。ただし、今論じているのは末法の時代であり、名ばかりの比丘しかいないのである。この名ばかりの比丘をこの世のまことの宝とする。そしてこれを福田とするのである。もし末法の時代に戒律をたもつものがいるというなら、それこそおかしなことであって、町中に虎がいるようなものである。だれがこれを信じるであろうか。
「比丘」とはみんさんご存知のように出家して修行を積んだ僧侶のことです。
最澄さんは、
「末法の時代にあっては名ばかりの僧侶しかいない!」
と、言いきり
もし末法の時代に戒律を守る僧侶が居たとしたら
「町中に虎がいるようなもので、ちゃんちゃらおかいいわ!」
「そんなおかしな話、誰が信じるものか!」
みたいな事を言っておられる訳です^^
これを聞いた問者が、 問うていう。正法と像法と末法の僧侶のあり方は、すでに多くの経典に説かれている。末法の時代の名ばかりの比丘をこの世のまことの宝とするということは、経典に説かれていることなのか。
と、びっくりこいて、
「おいおい、そんな名ばかりの僧侶であっても末法では宝として崇めろと経典には説かれているのか!」
と思わず問い返します。
で、最澄さんは次のような譬え話しを始めます。
答えていう。『大集経』の第九巻に、次のように説かれている。
「たとえば金を最上の宝とするようなものである。もし金がなければ銀を最上の宝とする。もし銀もなければ真鍮などのいつわりの宝を最上の宝とする。もしいつわりの宝もなければ赤銅・白銅・鉄・白蝋・鉛を最上の宝とする。このようなものを世間では宝というが、仏の教えこそ最も尊い宝なのである。もし仏がおらなければ、縁覚をもっとも尊いものとする。もし縁覚もいなければ、阿羅漢をもっとも尊いものとする。もし阿羅漢もいなければ、阿羅漢に達する前の聖者たちを最も尊いものとする。もしその聖者たちもいなければ、禅定を得た凡夫を最も尊いものとする。もし禅定を得た凡夫もいなければ、清らかに戒律をたもつ比丘を最も尊いものとする。もし清らかに戒律をたもつ比丘もいなければ、戒律を破る比丘をもっとも尊いものとする。もし戒律を破る比丘もいなければ、髪を剃って袈裟を身に着けただけの名ばかりの比丘を最も尊い宝とする。
「禅定を得た凡夫を最も尊いものとする。」と『大集経』にちゃんと書かれているんです。
ですから、わたしは名ばかりの僧侶に高いお金を払ってお経を唱えてもらうくらいなら、自分達で法華経を唱えて故人を送り出したいと考えます。
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わたしは元、創価学会の人間ですので
戒名に拘りはもっておりません。
お寺さんと決別した学会では、葬儀にお坊さんを呼びませんから
戒名を付ける事も致しません。
そもそも戒名って亡くなった時に付けるものではないって
ご存じですか?
俗世を離れ、仏門に入って仏の弟子となった証としてつけられる名前が戒名で、
本来は生前に授けられるものでした。
AI による概要では、
戒名をつけない場合、次のような点に注意が必要です。
1.お墓がお寺にある場合は、納骨の際に戒名を付けるのを条件とするお寺もあるので注意が必要です。
2.戒名がない場合は、お墓に入れる予定がある場合はそのお墓に入れてもらえない可能性があります。
3.戒名がない場合は、宗教的な儀式を行わないということが前提となります。
戒名をつけない場合は、菩提寺との相談が必要でしょう。
ChatGPTに聞いてみた。
戒名を亡くなった人に付ける習慣は、いつの時代から起きたのですか?
戒名を亡くなった人に付ける習慣は、日本では主に平安時代末期から鎌倉時代にかけての時期に定着したとされています。この時代に、仏教の影響が人々の生活や死生観に深く浸透し、戒名を授ける慣習が普及していきました。
1. 戒名の起源
戒名の起源は、インド仏教における受戒(じゅかい)の儀式に由来します。
中国に仏教が伝わると、この習慣が中国でも取り入れられました。ただし、中国では戒名を生前に授けられることが一般的でした。
2. 日本での戒名の歴史
奈良時代~平安時代
平安時代末期~鎌倉時代
室町時代以降
3. 戒名の普及理由
成仏への願い
戒名は、亡くなった人が仏の弟子として仏法の加護を受け、成仏するための象徴とされました。
仏教の社会的影響力
鎌倉仏教の時代以降、仏教が庶民の間で広がる中で、戒名が死後の供養として重要視されました。
身分制度との関連
室町時代以降、戒名の位号により身分や社会的地位を示す意味合いが強まり、武士や裕福な庶民の間で戒名の取得が重要なステータスとなりました。
4. 戒名の現代的な問題
現代では、戒名に高額な布施が必要とされることがあり、形式化や商業化への批判も存在します。もともと戒名は、仏教徒としての信仰や死者への追善供養を目的としたものであり、金銭的な負担が目的ではありませんでした。
まとめ
戒名を亡くなった人に付ける習慣は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて仏教が庶民に浸透する中で定着しました。本来は仏教徒としての信仰や成仏への願いを象徴するものであり、宗教儀礼としての深い意義が込められています。
現代においては、戒名の意義を改めて理解し、形式にとらわれず故人を偲ぶことが大切です。
早速zenさんからご意見を頂きました。
>仏陀から継承されて来た習慣ですから仏教徒なら賛否を問うべきではないと思います。
zenさんは、そのようにお考えのようですが、
わたしは考えがちょっと違います。
zenさんは、パーリ仏典のみを仏陀の教えだと思っておられる立場ですが、天台教学や日蓮仏法では、そのパーリ仏典で説かれているいわゆる阿含の教えは、世俗の真理(世俗諦)と教えられます。
仏教では縁起を説きます。
教えが変われば真理も変わります。
時代が変われば習慣も変わります。
永遠に変わらずにあり続ける真理などこの世には一つとして存在しないと説くのが仏教の教えです。
お釈迦さまの時代、出家するという事は俗世間をたつという意味がありました。
それは、欲にまみれた世界から離れる事で
煩悩から離れた清らかな世界で生きるといった事になります。
が、
しかし
時代が変われば習わしというものも変わるもので、
頭は丸めない、お酒は飲む、ゴルフは楽しむ、高級車を乗り回す、妻をめとる
といった、まったく俗世の凡夫と変わらぬ生活をしている今日のお坊さんに
果たしてどれだけの僧侶としての資質が備わっているのかと
疑問に思うのはわたしだけでしょうか?
そんなお坊さんに、高いお金を払ってお葬式でお経を唱えてもらっても
ありがたみを観じないんですけど、、、、、
しかも今の世では、
在家でもお経は唱えます。
お坊さん以上に欲から離れている在家さんも沢山おられます。
ここでちょっと経典のお話を少々。
お釈尊様が入滅されて時代が移り変わって行くうちに、次第に仏教が衰退し末法に至っては『大集経』に「白法隠没(びゃくほうおんもつ)」と記されておりまして、お釈迦さまが説かれた教えはこの世から姿を消してしまうであろうと言われております。
伝教大師(最澄)の『末法灯明記』にその事が次のように紹介されております。
わたしが世を去った後、最初の五百年間は、多くの比丘たちはわたしが説いたままに行を修めてさとりを得ることが確かであろう。(ここでは初果を得ることをさとりという) 次の五百年間は、禅定を修めることが盛んであろう。次の五百年間は、多くの教えを聞くことが盛んであろう。次の五百年間は、寺をつくることが盛んであろう。最後の五百年間は、争いが盛んになり、仏の教えはこの世から姿を消してしまうであろう。
さらに『末法灯明記』には次のような事がかかれております。
像法の最後の時の僧侶のあり方はすでに末法と同じである。すなわち末法の時代であれば、ただ仏の説かれた言葉が残っているだけで行もなくさとりもない。もし戒律があるのならその戒律を破るということもあり得る。しかし末法の時代には、すでにたもつべき戒律がないのに、いったいどの戒律を破ることで戒律を破ったといえるものであろうか。戒律を破ることすらないのに、まして戒律をたもつことなどあるはずもない。だから『大集経』には、「仏の入滅後、たもつべき戒律を持たない無戒のものが世の中に満ちあふれるであろう」と説かれているのである。
それに対し問者が「末法の時代」についてこのように鋭く問い返す。
問うていう。さまざまな経や律では、戒律を破るものをきびしく制し、教団に入ることを許していない。戒律を破るものでさえこの通りであり、まして無戒のものはいうまでもないことである。ところが今あらためて末法の時代について論じ、末法には戒律がないという。しかし教団の中にもとより無戒のものはいないのだから、それについて論じるのは、傷もないのに傷ついているというようなものではないか。
ここぞとばかりに、最澄さんは更にこう言い放つ!
答えていう。そうではない。正法と像法と末法の時代における僧侶のあり方はすべて、さまざまな経典に説かれている。出家のものも在家のものもみなこれを読んでいるのであり、どうして自分のよこしまな生活をむさぼり求めて、国をたもる正しい教えを隠すことなどできようか。ただし、今論じているのは末法の時代であり、名ばかりの比丘しかいないのである。この名ばかりの比丘をこの世のまことの宝とする。そしてこれを福田とするのである。もし末法の時代に戒律をたもつものがいるというなら、それこそおかしなことであって、町中に虎がいるようなものである。だれがこれを信じるであろうか。
「比丘」とはみんさんご存知のように出家して修行を積んだ僧侶のことです。
最澄さんは、
「末法の時代にあっては名ばかりの僧侶しかいない!」
と、言いきり
もし末法の時代に戒律を守る僧侶が居たとしたら
「町中に虎がいるようなもので、ちゃんちゃらおかいいわ!」
「そんなおかしな話、誰が信じるものか!」
みたいな事を言っておられる訳です^^
これを聞いた問者が、
問うていう。正法と像法と末法の僧侶のあり方は、すでに多くの経典に説かれている。末法の時代の名ばかりの比丘をこの世のまことの宝とするということは、経典に説かれていることなのか。
と、びっくりこいて、
「おいおい、そんな名ばかりの僧侶であっても末法では宝として崇めろと経典には説かれているのか!」
と思わず問い返します。
で、最澄さんは次のような譬え話しを始めます。
答えていう。『大集経』の第九巻に、次のように説かれている。
「たとえば金を最上の宝とするようなものである。もし金がなければ銀を最上の宝とする。もし銀もなければ真鍮などのいつわりの宝を最上の宝とする。もしいつわりの宝もなければ赤銅・白銅・鉄・白蝋・鉛を最上の宝とする。このようなものを世間では宝というが、仏の教えこそ最も尊い宝なのである。もし仏がおらなければ、縁覚をもっとも尊いものとする。もし縁覚もいなければ、阿羅漢をもっとも尊いものとする。もし阿羅漢もいなければ、阿羅漢に達する前の聖者たちを最も尊いものとする。もしその聖者たちもいなければ、禅定を得た凡夫を最も尊いものとする。もし禅定を得た凡夫もいなければ、清らかに戒律をたもつ比丘を最も尊いものとする。もし清らかに戒律をたもつ比丘もいなければ、戒律を破る比丘をもっとも尊いものとする。もし戒律を破る比丘もいなければ、髪を剃って袈裟を身に着けただけの名ばかりの比丘を最も尊い宝とする。
「禅定を得た凡夫を最も尊いものとする。」と『大集経』にちゃんと書かれているんです。
ですから、わたしは名ばかりの僧侶に高いお金を払ってお経を唱えてもらうくらいなら、自分達で法華経を唱えて故人を送り出したいと考えます。