最初に書いておかないと、わたしが忘れてしまうのです。
歳は取りたくないものですねー
物忘れがどんどん激しくなっていく、、、、
以上は課外授業のお話です。
本題へ入って行く前に、三時限目の話のポイントをまず紹介しておきます。
知恵袋で新たな質問を立ててきました。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12307746557
ムーさんに限らず、分かった人は
どしどしご回答ください!
ムーちゃんに問題として出そうかな^^
見事正解に辿り着いたムーちゃんに、 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11307567441
ローカル問題ではない、仏教の問題を今度は出してみよう!
ちょっと今から質問を立てて来ます。
そしてある事に気づいたんです。
学者さん達がまだ気づいていない
とても大事な事です^^
『般若経』で法四依がどこにどのように説かれているか詳しく教えて下さい。
『般若経』(特に『大般若経』や『般若波羅蜜多心経』を含む)では、法四依(ほうしい)は直接的にその名で言及されていない場合がありますが、その精神や教えの要点は、般若の智慧(般若波羅蜜)の中で間接的に説かれていると理解されています。法四依は仏教において重要な指針であり、次の4つの原則から成ります:
依法不依人(ほうによりてひとによらず) 教えそのもの(法)に依り、教えを説く人間そのものには依存しないという指針です。これは、般若の智慧において、真理を理解することが重視され、個人の権威ではなく法そのものを信じるべきという思想と一致します。
依義不依語(ぎによりてごによらず) 言葉の表現にとらわれず、その言葉が示す真の意味に依拠するという教えです。般若経典では、言葉(文字)を超えた智慧が強調されており、「色即是空、空即是色」のような言説も、表現を超えた真理を理解することを求めています。
依智不依識(ちによりてしきによらず) 知恵に依り、識(分別的な認識)に依らないという教えです。般若波羅蜜の中心的なテーマである「無分別智」は、知識や概念を超えた智慧を目指します。『般若経』全般で説かれる「空」の思想も、分別的な認識を超えて真理を理解することを求めています。
依了義経不依不了義経(りょうぎきょうによりてふりょうぎきょうによらず) 完全に悟りに導く教えに依り、不完全な教えには依らないという教えです。『般若経』は、まさに「了義経」として、仏教の究極的な智慧(般若)を説くものとされています。
『般若経』には、法四依を直接名指しして説く章節はありませんが、その精神は至るところに散りばめられています。たとえば:
『般若波羅蜜多心経』 「色即是空、空即是色」と説く部分は、「依義不依語」の教えに通じ、言葉や形に執着せず真理を悟るよう説いています。
『大般若経』 この経典では、「般若波羅蜜」(智慧の完成)を修行することで、無明を超えて真理を悟ることが強調されています。これは特に「依智不依識」の教えに対応します。
『金剛般若波羅蜜経』 「一切法は無我である」と説き、法を執着せずに理解することを求めます。この教えは、「依法不依人」の精神に近いものです。
これらの原則を体系的に「法四依」としてまとめたのは後の仏教教理の展開によるものですが、般若経典にはその基盤となる思想が随所に見られます。
さらに詳しい該当箇所や教義の解釈を知りたい場合は、『大般若経』や『金剛般若経』の具体的な章節を挙げて、その内容をさらに検討することが有効です。
参考リンク: チャットGPT 無料、登録なし
法四依が『大般涅槃経』で説かれているってのは、知っておりましたが、
『般若経』でも説かれていたの?
と思いさらにChatGPTに聞いてみたんです。
関連する教え 法四依は特に「正法(仏陀の教えの真髄)」を求める上で重要であり、『般若経』や『大般涅槃経』などの経典で言及されています。これらを理解し実践することにより、悟りへの道を妨げる迷いを取り除けるとされています。
とありますよね。
先日の二時限目で法四依のお話をしましたが、
>> 86の ChatGPT による説明文の最後のところを見て頂けますか。
只今より三時限目の授業をはじめます。
おはようございます、法介です。
二時限目の授業は、ここまでとさせて頂きます。
ここまでの内容でご意見やご感想、またご質問など御座いましたら、
こちらの知恵袋の回答覧よりご投稿くださいませ。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12307590502
では、その三乗の智慧がどのような法理(意義)として説かれているのか、
それを今から詳しくお話して参ります。
三乗の智慧とは、只今お話しております、四諦の三転法輪で説かれた、声聞の覚り、縁覚の覚り、菩薩の覚りに他なりません。
>> 54
その『法華経』に仏の究極の覚りは「三乗の智慧」に依って開かれると説かれております。
『法華経』が仏教において如何に重要な位置にあるか、お分かり頂けますでしょうか。
次のような答えが返って来ました。
日蓮が引用している『涅槃経』の内容は、仏教の正しい教えを守るための原則を示したものであり、特に法華経の位置づけや重要性を強調しています。この文脈で言及されている『涅槃経』の内容は、仏滅後の教えの依拠について述べた部分と考えられます。
具体的には、『涅槃経』の中で「四依の論師」や「経の選択」について言及されている箇所は、仏滅後における教えの理解と実践に際して、他の教えや解釈者が説く内容よりも法華経の教えを最優先すべきだという趣旨を述べたものと解されます。この「四依の論師」とは、仏滅後の教えを解釈する際に頼るべき四つの基準や聖典を指しますが、それでもなお、法華経に背く内容であれば、それを受け入れるべきではないという強い警告がなされています。
『涅槃経』における対応する記述の例として、以下のような部分が含まれます:
「諸経の中においても、正しい経典を選ぶべし」 仏滅後、弟子たちがさまざまな教えに接する中で、仏自身が「最も正しい教えを選ぶべき」と説いています。これは法華経が仏教の中でも最も究極の教えであることを強調する文脈で理解されています。
「仏法に背く者、たとえ学識があっても従うべきではない」 四依の論師といえども、その解釈が仏法、特に法華経に反する場合には、それを捨てるべきと説かれています。
日蓮はこの『涅槃経』の教えを引いて、特に「法華経に背く解釈や行為を行う者、あるいはその教えは用いるべきではない」と強調しています。これは、日蓮仏教の根幹ともいえる法華経至上主義に基づくものであり、仏教における教義選択の際の指針として提示されています。
『涅槃経』のこうした教えは、日蓮仏教の論理構築においてしばしば引用される重要な論拠となっています。もしさらに具体的な原典の引用をお望みであれば、仏典そのものを参照することをおすすめします。
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この言葉を引用して、ChatGPTに次のように質問してみました。
ChatGPTに対する質問文: 日蓮さんが、「仏の御遺言には我が滅度の後には四依の論師たりといへども法華経にたがはば用うべからずと涅槃経に返す返す禁め置かせ給いて侍る」と『題目弥陀名号勝劣事』の中で言われてますが、『涅槃経』に実際にどのように説かれているのでしょうか?
日蓮さんが『題目弥陀名号勝劣事』の中で次のような事を言われておりまして、
「仏の御遺言には我が滅度の後には四依の論師たりといへども法華経にたがはば用うべからずと涅槃経に返す返す禁め置かせ給いて侍る」
ではその教えを説くのはと言えば、やはり人になります。
随ってここで言う「法」とは、仏典を意味すると解釈するのが仏教の習わしです。
四依の菩薩といわれた聖人達はみな仏典をより処として論書や注釈書を書き顕しております。
1.依法不依人(法に依りて人に依らざれ)の〝法〟が意味するところですが、
一般的にいう「法」でしたらその法を覚るのは人です。
しかし人に依ってはいけないと言われております。
なのでここで言っておられる「法」とは、〝教え〟を意味します。
この「法四依」を知らずに仏教を学んでも、おかしな方向へ進んでしまいます。
仏教を習得するにおいて肝に命じておかなければならない大変大事な教えです。
<法四依>
1.依法不依人(法に依りて人に依らざれ)
2.依義不依語(義に依りて語に依らざれ)
3.依智不依識(智に依りて識に依らざれ
4.依了義経不依不了義経(了義経に依りて不了義経に依らざれ)
仏教における「法四依」は、修行者や信仰者が正しい道を進むために頼るべき四つの基準を示した教えです。特に、教えや教義が多様で複雑な場合、迷わず仏法を実践できるよう導く指針とされています。
法四依は以下の四つで構成されています:
仏教の実践において法四依は、特に以下のような場面で重要とされています:
これにより、修行者が自己中心的な解釈や表面的な理解に偏らず、仏陀の教えそのものに根差した正しい道を進むことが可能になります。
法四依は特に「正法(仏陀の教えの真髄)」を求める上で重要であり、『般若経』や『大般涅槃経』などの経典で言及されています。これらを理解し実践することにより、悟りへの道を妨げる迷いを取り除けるとされています。
関連リンク:チャットGPT 無料、登録なし
ChatGPTにこの法四依について説明してもらいましょう。
『涅槃経』でお釈迦さまが遺言的に示された「法四依」のお話です。
今回のお題から少しそれますが、答えを導き出す為に大変重要なよう要素をここで取り上げたいと思います。
ちょっと休憩を挟みます。
四諦の三転法輪の初転法輪のお話でもあります。
蔵教・通教・別教・円教の四教の中の、
蔵教の「四つの縁」のお話です。
「色・受・想・行・識」の五つの要素における「四つの変化の相」のお話の
『倶舎論』における「四つの縁」のお話です。
(※ 4×4を意識されて下さい)
ここでのポイントは、この「四つの縁」です。
これらの五つの要素が先に紹介しました四つの縁によって生じると説くのが『倶舎論』です。
最後の無為は、説明すると長くなるのでここでは割愛させて頂きます。
蔵教で説くところの「真理」とでも言っておきます。
重力や引力、運動の法則とかがそれにあたります。
色とは姿・形のあるモノ、即ち物質の事です。
心は、そのまま人のこころの事です。
心所とは、その心に生じる感情や意思などの働きです。
心不相応行がこの説明文では、ちょっと分かりずらかと思いますが、
分かりやすく言えば「法」です。科学や物理学で言うところの「法則」ってやつです。
<五位の内容>
色=物質的なもの 心=心の主体である識、心王 心所=心のはたらき 心不相応行=心でも身でもないもの 無為=原因と条件とによって変化しないもの
この一切法を『倶舎論』では色・心・心所・心不相応行・無為の五つの範疇に分類して説いております。
これを五位といいます。
一切法とは世界を形成する全ての法という意味です。
一切法を実在論として説いているのが蔵教のアビダルマ(論蔵)『倶舎論』です。
最初に書いておかないと、わたしが忘れてしまうのです。
歳は取りたくないものですねー
物忘れがどんどん激しくなっていく、、、、
以上は課外授業のお話です。
本題へ入って行く前に、三時限目の話のポイントをまず紹介しておきます。
知恵袋で新たな質問を立ててきました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12307746557
ムーさんに限らず、分かった人は
どしどしご回答ください!
ムーちゃんに問題として出そうかな^^
見事正解に辿り着いたムーちゃんに、
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11307567441
ローカル問題ではない、仏教の問題を今度は出してみよう!
ちょっと今から質問を立てて来ます。
そしてある事に気づいたんです。
学者さん達がまだ気づいていない
とても大事な事です^^
『般若経』で法四依がどこにどのように説かれているか詳しく教えて下さい。
『般若経』(特に『大般若経』や『般若波羅蜜多心経』を含む)では、法四依(ほうしい)は直接的にその名で言及されていない場合がありますが、その精神や教えの要点は、般若の智慧(般若波羅蜜)の中で間接的に説かれていると理解されています。法四依は仏教において重要な指針であり、次の4つの原則から成ります:
依法不依人(ほうによりてひとによらず)
教えそのもの(法)に依り、教えを説く人間そのものには依存しないという指針です。これは、般若の智慧において、真理を理解することが重視され、個人の権威ではなく法そのものを信じるべきという思想と一致します。
依義不依語(ぎによりてごによらず)
言葉の表現にとらわれず、その言葉が示す真の意味に依拠するという教えです。般若経典では、言葉(文字)を超えた智慧が強調されており、「色即是空、空即是色」のような言説も、表現を超えた真理を理解することを求めています。
依智不依識(ちによりてしきによらず)
知恵に依り、識(分別的な認識)に依らないという教えです。般若波羅蜜の中心的なテーマである「無分別智」は、知識や概念を超えた智慧を目指します。『般若経』全般で説かれる「空」の思想も、分別的な認識を超えて真理を理解することを求めています。
依了義経不依不了義経(りょうぎきょうによりてふりょうぎきょうによらず)
完全に悟りに導く教えに依り、不完全な教えには依らないという教えです。『般若経』は、まさに「了義経」として、仏教の究極的な智慧(般若)を説くものとされています。
『般若経』の該当部分
『般若経』には、法四依を直接名指しして説く章節はありませんが、その精神は至るところに散りばめられています。たとえば:
『般若波羅蜜多心経』
「色即是空、空即是色」と説く部分は、「依義不依語」の教えに通じ、言葉や形に執着せず真理を悟るよう説いています。
『大般若経』
この経典では、「般若波羅蜜」(智慧の完成)を修行することで、無明を超えて真理を悟ることが強調されています。これは特に「依智不依識」の教えに対応します。
『金剛般若波羅蜜経』
「一切法は無我である」と説き、法を執着せずに理解することを求めます。この教えは、「依法不依人」の精神に近いものです。
これらの原則を体系的に「法四依」としてまとめたのは後の仏教教理の展開によるものですが、般若経典にはその基盤となる思想が随所に見られます。
さらに詳しい該当箇所や教義の解釈を知りたい場合は、『大般若経』や『金剛般若経』の具体的な章節を挙げて、その内容をさらに検討することが有効です。
参考リンク: チャットGPT 無料、登録なし
法四依が『大般涅槃経』で説かれているってのは、知っておりましたが、
『般若経』でも説かれていたの?
と思いさらにChatGPTに聞いてみたんです。
関連する教え
法四依は特に「正法(仏陀の教えの真髄)」を求める上で重要であり、『般若経』や『大般涅槃経』などの経典で言及されています。これらを理解し実践することにより、悟りへの道を妨げる迷いを取り除けるとされています。
とありますよね。
先日の二時限目で法四依のお話をしましたが、
>> 86の ChatGPT による説明文の最後のところを見て頂けますか。
只今より三時限目の授業をはじめます。
おはようございます、法介です。
二時限目の授業は、ここまでとさせて頂きます。
ここまでの内容でご意見やご感想、またご質問など御座いましたら、
こちらの知恵袋の回答覧よりご投稿くださいませ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12307590502
では、その三乗の智慧がどのような法理(意義)として説かれているのか、
それを今から詳しくお話して参ります。
三乗の智慧とは、只今お話しております、四諦の三転法輪で説かれた、声聞の覚り、縁覚の覚り、菩薩の覚りに他なりません。
>> 54
その『法華経』に仏の究極の覚りは「三乗の智慧」に依って開かれると説かれております。
『法華経』が仏教において如何に重要な位置にあるか、お分かり頂けますでしょうか。
次のような答えが返って来ました。
日蓮が引用している『涅槃経』の内容は、仏教の正しい教えを守るための原則を示したものであり、特に法華経の位置づけや重要性を強調しています。この文脈で言及されている『涅槃経』の内容は、仏滅後の教えの依拠について述べた部分と考えられます。
具体的には、『涅槃経』の中で「四依の論師」や「経の選択」について言及されている箇所は、仏滅後における教えの理解と実践に際して、他の教えや解釈者が説く内容よりも法華経の教えを最優先すべきだという趣旨を述べたものと解されます。この「四依の論師」とは、仏滅後の教えを解釈する際に頼るべき四つの基準や聖典を指しますが、それでもなお、法華経に背く内容であれば、それを受け入れるべきではないという強い警告がなされています。
『涅槃経』における対応する記述の例として、以下のような部分が含まれます:
「諸経の中においても、正しい経典を選ぶべし」
仏滅後、弟子たちがさまざまな教えに接する中で、仏自身が「最も正しい教えを選ぶべき」と説いています。これは法華経が仏教の中でも最も究極の教えであることを強調する文脈で理解されています。
「仏法に背く者、たとえ学識があっても従うべきではない」
四依の論師といえども、その解釈が仏法、特に法華経に反する場合には、それを捨てるべきと説かれています。
日蓮はこの『涅槃経』の教えを引いて、特に「法華経に背く解釈や行為を行う者、あるいはその教えは用いるべきではない」と強調しています。これは、日蓮仏教の根幹ともいえる法華経至上主義に基づくものであり、仏教における教義選択の際の指針として提示されています。
『涅槃経』のこうした教えは、日蓮仏教の論理構築においてしばしば引用される重要な論拠となっています。もしさらに具体的な原典の引用をお望みであれば、仏典そのものを参照することをおすすめします。
チャットGPT 無料、登録なし
この言葉を引用して、ChatGPTに次のように質問してみました。
ChatGPTに対する質問文:
日蓮さんが、「仏の御遺言には我が滅度の後には四依の論師たりといへども法華経にたがはば用うべからずと涅槃経に返す返す禁め置かせ給いて侍る」と『題目弥陀名号勝劣事』の中で言われてますが、『涅槃経』に実際にどのように説かれているのでしょうか?
日蓮さんが『題目弥陀名号勝劣事』の中で次のような事を言われておりまして、
「仏の御遺言には我が滅度の後には四依の論師たりといへども法華経にたがはば用うべからずと涅槃経に返す返す禁め置かせ給いて侍る」
ではその教えを説くのはと言えば、やはり人になります。
随ってここで言う「法」とは、仏典を意味すると解釈するのが仏教の習わしです。
四依の菩薩といわれた聖人達はみな仏典をより処として論書や注釈書を書き顕しております。
1.依法不依人(法に依りて人に依らざれ)の〝法〟が意味するところですが、
一般的にいう「法」でしたらその法を覚るのは人です。
しかし人に依ってはいけないと言われております。
なのでここで言っておられる「法」とは、〝教え〟を意味します。
この「法四依」を知らずに仏教を学んでも、おかしな方向へ進んでしまいます。
仏教を習得するにおいて肝に命じておかなければならない大変大事な教えです。
<法四依>
1.依法不依人(法に依りて人に依らざれ)
2.依義不依語(義に依りて語に依らざれ)
3.依智不依識(智に依りて識に依らざれ
4.依了義経不依不了義経(了義経に依りて不了義経に依らざれ)
仏教における「法四依」は、修行者や信仰者が正しい道を進むために頼るべき四つの基準を示した教えです。特に、教えや教義が多様で複雑な場合、迷わず仏法を実践できるよう導く指針とされています。
法四依の内容
法四依は以下の四つで構成されています:
1. 依(よ)るべきは法、依るべからず人
教えにおいて大切なのは「法(ダルマ、真理)」であり、それを説いた人(教師、僧侶)そのものではない、ということです。
説法者や師匠であっても、個人の言葉や意見よりも、その教えの中にある仏法の真理を重視すべきです。たとえ高名な僧侶であっても、その言葉が仏法の真理と一致しない場合、それに従うべきではないという戒めでもあります。
2. 依るべきは義、依るべからず語
教えの「義(内容の本質)」に目を向けるべきであり、言葉そのもの(文面)に固執してはならない、ということです。
仏教の経典や教えは時代や場所に応じて表現が異なる場合があります。表面的な言葉の違いや解釈に囚われず、教えの本質的な意味を理解することが求められます。
3. 依るべきは智、依るべからず識
真の智慧(悟りに基づく理解)を重視し、単なる知識や情報に頼るべきではないという教えです。
「識」とは、感覚や知識に基づいた判断を指しますが、これは煩悩や偏見に影響されやすいものです。一方、「智」は仏法を通じた深い洞察や理解を意味します。感覚や情報に基づく一時的な判断ではなく、真理に基づいた智慧を目指すべきです。
4. 依るべきは了義経(りょうぎきょう)、依るべからず不了義経(ふりょうぎきょう)
明確に真理を示す教え(了義経)を重視し、比喩や限定的な意味を持つ教え(不了義経)に頼るべきではない、という教えです。
「了義経」とは、教えの本質を直接的に示す経典や教えのことを指し、「不了義経」とは、具体的状況や文脈に応じた比喩や例えを用いた教えを指します。例えば、初心者向けに簡略化された説明にとどまらず、最終的には深い教えを求めるべきだとされています。
法四依の意義
仏教の実践において法四依は、特に以下のような場面で重要とされています:
これにより、修行者が自己中心的な解釈や表面的な理解に偏らず、仏陀の教えそのものに根差した正しい道を進むことが可能になります。
関連する教え
法四依は特に「正法(仏陀の教えの真髄)」を求める上で重要であり、『般若経』や『大般涅槃経』などの経典で言及されています。これらを理解し実践することにより、悟りへの道を妨げる迷いを取り除けるとされています。
ChatGPTにこの法四依について説明してもらいましょう。
『涅槃経』でお釈迦さまが遺言的に示された「法四依」のお話です。
今回のお題から少しそれますが、答えを導き出す為に大変重要なよう要素をここで取り上げたいと思います。
ちょっと休憩を挟みます。
四諦の三転法輪の初転法輪のお話でもあります。
蔵教・通教・別教・円教の四教の中の、
蔵教の「四つの縁」のお話です。
「色・受・想・行・識」の五つの要素における「四つの変化の相」のお話の
『倶舎論』における「四つの縁」のお話です。
(※ 4×4を意識されて下さい)
ここでのポイントは、この「四つの縁」です。
これらの五つの要素が先に紹介しました四つの縁によって生じると説くのが『倶舎論』です。
最後の無為は、説明すると長くなるのでここでは割愛させて頂きます。
蔵教で説くところの「真理」とでも言っておきます。
重力や引力、運動の法則とかがそれにあたります。
色とは姿・形のあるモノ、即ち物質の事です。
心は、そのまま人のこころの事です。
心所とは、その心に生じる感情や意思などの働きです。
心不相応行がこの説明文では、ちょっと分かりずらかと思いますが、
分かりやすく言えば「法」です。科学や物理学で言うところの「法則」ってやつです。
<五位の内容>
色=物質的なもの
心=心の主体である識、心王
心所=心のはたらき
心不相応行=心でも身でもないもの
無為=原因と条件とによって変化しないもの
この一切法を『倶舎論』では色・心・心所・心不相応行・無為の五つの範疇に分類して説いております。
これを五位といいます。
一切法とは世界を形成する全ての法という意味です。
一切法を実在論として説いているのが蔵教のアビダルマ(論蔵)『倶舎論』です。