法介の『ゆゆしき世界』

虚空絵(二) 法介のほ~『法華経』その⑧ / 9

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法介 2023/10/18 (水) 05:09:15

日蓮大聖人は『法華真言勝劣事』の中で、

今大日経並に諸大乗経の無始無終は法身の無始無終なり三身の無始無終に非ず、法華経の五百塵点は諸大乗経の破せざる伽耶の始成之を破りたる五百塵点なり、大日経等の諸大乗経には全く此の義無し

と申され、『開目鈔』でも、

雙林最後の大般涅槃経・四十巻・其の外の法華・前後の諸大経に一字一句もなく法身の無始・無終はとけども応身・報身の顕本はとかれず

と申されております。

大日経等の諸大乗経典では大日法身の無始無終は説かれてはいるが、応身・報身の無始無終は『法華経』にしか説かれておりません。

そして『開目鈔』で、

本門にいたりて始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界の因果をとき顕す。此即本因本果の法門なり

と仰せです。蔵・通・別・円の四教の教えは全て因果を説いたものでした。しかしその「爾前迹門の十界の因果」を打やぶって「本門十界の因果」が説き顕されます。

これが即ち、「本因本果の法門」です。

どういう事だか解りますか。

蔵・通・別・円の四教で示して来た〝因果〟を打ち破った「因果」なんです。

有為の因果ではなく、無為の因果が『法華経』本門では明かされているのです。

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