法介
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2023/10/18 (水) 05:36:06
「無為」とは縁起が生じないという意味で、究極の覚りの世界(真如の世界)にあっては縁起は起こりません。『唯識』で説かれている第八阿頼耶識がこれにあたります。ここでは意識が働きませんので善悪等の判断も起こりません。ですから長い・短いも綺麗・汚いも嬉しい・悲しいも生じる事も滅する事も何も起こりません。なので無始無終です。
そこにあるのはただ、業(行いの記録)だけです。
しかし、仏が積んで来た修行の因(行い)も、その修行の報いとして得て来た果徳(果報)もここには全て収まっております。ここでの因果は縁起としての因果ではなく、業としての因果です。
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