父が亡くなる三年前、母が先に旅立ちました。
母の最期は病院でだった。深夜だった為北九州の長男夫婦と次女の三人が付き添っての臨終でした。
姉(次女)が後に私にこう言った。
「法介が居なくて良かった」
その言葉の意味は、兄姉の中で人一倍母を慕っていたのが私だったからです。
姉(長男の嫁)がある時何気に口にした。
「お母さんの時は、ちょっと可哀そうだったよね」
と。
母の死を聞いて翌朝私は父の北九州の家(←長男の家の近所に立てた)に駆け付けた。
横たわる母の顔は、少し苦しげだった。
私は、母の枕もとに寄り添ってずっと一人、題目を送った。
私の妻と三人の子供達も福岡からやって来た。
会館で母と最期の一夜を過ごした時、我が家の皆で母に法華経を唱えお題目を送った。うちの子供達は父が私にしてくれたように、事あるごとに私がこの仏法の正しさ素晴らしさを子供達一人一人に語って来た。
皆、どこの宗派にも団体にも属してはいないが、日蓮仏法を自分の意志で実践している。
家族での勤行・唱題を終えて母の顔を見た妻が言った。
「お母さん、って呼びかけたら今にも目が開きそうな、まるで生きてる見たいに眠ってるね」
と。
翌日、葬儀を終え出棺のさい、皆で棺のふたを閉める時、母の最期の顔は優しく微笑んでいた。
私の娘が小学生だった頃、一緒にモルモットを買って飼育していた。
モコちゃんという名を娘が付けて可愛がっていた。そのモコがある朝急に亡くなって、ゲージから取り上げると既にカチコチに硬直していた。その亡骸を御本尊の前に寝かせて私はずっとお題目をモコちゃんに送った。そして娘が学校から帰って来て、
「モコちゃん抱っこしてごらん」
と娘に渡すと、娘は驚いた。
「柔らかくなってる」
カチコチに硬直していたモコちゃんの体は、生きている時のようにしなやかになっていた。
モコちゃんは娘にお題目の凄さを身をもって教えてくれた。