法介の『ゆゆしき世界』

虚空絵(一) 法介のほ~『法華経』その⑦ / 13

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法介 2023/10/12 (木) 04:32:51 修正

私の父が亡くなった時に私が体験した不思議なお話を少々。

私の父は、母と結婚するまではキリスト教信者だったのですが、母が長女を生んで翌年に二卵性の長男と次女が双子で生まれまして、三人の育児に気がめいった母が育児ノイローゼになり、母方の創価学会員の叔母から折伏されて学会に入りました。

何事もやる以上は徹底的にやる性分の父で、当時としてはお医者さんの学会員はめずらしくあっという間に初代九州ドクター部長の職無につきました。

父が九州幹部を任された当時九州創価学会の総責任者は、戸田先生から九州広布を託された戸田門下の一番弟子、石田次男さんでした。教学において彼の右に出る者はないと言われた程、教学に精通されていた人物です。創価学会の池田先生の教学が「おかしい」と真っ先に気づかれたのもこの石田次男さんです。戸田先生亡き後三代会長の打診も戸田先生は次男さんになされていたようですが、

「自分はまだ会長職を引き受ける程、覚ってはおりません。」

とお断りなされていたようです。それをここぞとばかり古参の原島宏治理事長を言いくるめて、さっさと会長職をゲットしたのが池田先生です。(原島理事の息子さんが自身の著書の中で当時の状況を詳しく綴っております)ですから池田先生にとって先輩にあたる石田次男さんは、大変やっかいな存在だったのでしょう、小説『人間革命』を使って石田さんのイメージを徹底的に陥れたりしております。

その石田さんが九州広布の総責任者として九州創価学会の基盤を築いておられた昭和30年代、私の父もその石田次男さんの教学を受け継ぐ一人でした。

父の仏教観は池田先生のそれ(外道義)とは異なり、徹底した〝己心の法〟でした。

父は毎日朝必ず2時間の唱題を行いその後に御書を読み、数回に渡って御書を完読しておりました。私も小学生の頃から自分用の御書を与えられ、中学生の時に最初の教学試験いわゆる任用試験を受けました。事あるごとに御書を通して日蓮仏法の正しさ、素晴らしさを私達五人の子供達に教えてくれました。

そんな父が長年住み慣れた福岡の地を去り、兄が住む北九州に母と弟を連れ引っ越しました。そのころに私はネットで石田次男さんが書かれた池田先生の外道義教学を論破された論文と巡り合い、外道信仰(宇宙の法則)になり果てた学会を私は去りました。姉(長女)からは仏敵呼ばわりされ兄(長男)からも非道者呼ばわりされ、親戚一同からも村八分され、学会定番の脱会者=極悪人のレッテルも貼られました。

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