法介
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2023/09/23 (土) 10:32:38
『観心本尊抄』の①の「大通の種子を覚知するもの」ですが、これが『法華経』方便品第二の中で説かれている五千起去(ごせんききょ)でしょう。お釈迦さまが法華経を詳しく説こうとされた時、その会座にいた5000人の増上慢の出家者たちが、すでに妙果(悟り)を得ていると自惚れて聞こうとせずに起立して去って行きます。
②の「成仏を許された」弟子達が舎利弗・目連・迦葉・阿難といった記別を授けられた声聞の弟子達の事でしょう。
③の「人界天界の衆生等」と言いますのは、天界と言っても仏教を習得していなくても人としの人生を全うして執着なく最後を迎えれば六欲天に転生します。お釈迦さまの法華経の会座にあっても六欲天の天人達が聴聞しておりますよね。そういった天人を含めて始めて法華経八品を聞きいて発心下種した者達です。
そして④にありますように正法、像法時代でそういったお釈迦さまとの結縁者達はことごとく皆成仏して天上界へ転生していっております。ですから末法の衆生には「仏」と同等の修行の対境が必要不可欠となります。
なぜなら「因」ありと言えども「縁」がなければ縁起は起こらないからです。
因縁説周は、お釈迦さまと声聞の弟子達の過去世の因縁のお話です。成仏の因となるのは『法華経』です。その法華経の種が「仏」という縁に値うことで熟していきます。(熟益)
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