智顗の『法華玄義』巻五の下の次の言葉をもって張 教授は、
明円教三法者、以真性軌為乗体、
不偽名真、不改名性、即正因常住。…… 観照者、
只点真性寂而常照、便是観照、即是第一義空。
資成者、只点真性法界含蔵諸行、無量衆具、即如来蔵。--- (18)
智顗は、真性軌が法性中道第一義諦、観照軌が空諦第一義空、資成軌が仮諦如来蔵であるとしていわゆる「三法」・「三軌」が空・仮・中の三諦であると説く。と自身の見解を述べておられます。
また、次の文から三諦は円融互具であり、三法三軌が円融互具であることから、三果仏性(三徳)も、当然円融互具となります。
一仏乗即具三法、亦名第一義諦、亦名第一義空、亦名如来蔵。
此三不定三、三而論一。一不定一、一而論三。不可思議、不並不別。--- (19)
ここでいう三軌とは、
前明諸諦、若開若合、若粗若妙等、已是真性軌相也。前明諸智、若開若合、
若粗若妙、是観照軌相也。前明諸行、若開若合、若粗若妙、已是資成軌相也。--- (14)
「真性軌」が実相諦理、「観照軌」が般若観智、「資成軌」が功徳善行を指し、三因仏性と三軌が、
真性軌即是正因性、観照軌即是了因性、資成軌即是縁因性。--- (15)
となって、法身・般若・解脱の三徳と三軌もこのような関係になると智顗は説明されております。
真性軌得顕名為法身、観照得顕名為般若、資成得顕名為解脱。--- (16)
智顗のそういった解釈をふまえて日蓮大聖人は『一念三千法門』の中で次のように三諦について述べられております。
第一に是相如と相性体力以下の十を如と云ふ如と云うは空の義なるが故に十法界・皆空諦なり是を読み観ずる時は我が身即・報身如来なり八万四千又は般若とも申す、第二に如是相・是れ我が身の色形顕れたる相なり是れ皆仮なり相性体力以下の十なれば十法界・皆仮諦と申して仮の義なり是を読み観ずる時は我が身即・応身如来なり又は解脱とも申す、第三に相如是と云うは中道と申して仏の法身の形なり是を読み観ずる時は我が身即法身如来なり又は中道とも法性とも涅槃とも寂滅とも申す、此の三を法報応の三身とも空仮中の三諦とも法身・般若・解脱の三徳とも申す此の三身如来全く外になし我が身即三徳究竟の体にて三身即一身の本覚の仏なり、是をしるを如来とも聖人とも悟とも云う知らざるを凡夫とも衆生とも迷とも申す。
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(14)『法華玄義』巻五下、『大正蔵』巻 33、741 頁中。
(15)『法華玄義』巻五下、『大正蔵』巻 33、744 頁下。
(16)『法華玄義』巻五下、『大正蔵』巻 33、742 頁下。
(18)『法華玄義』巻五下、『大正蔵』巻 33、742 頁中—下。
(19)『法華玄義』巻五下、『大正蔵』巻 33、741 頁中。