法介の『ゆゆしき世界』

十如是と五何法 法介のほ~『法華経』その③ / 1

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法介 2023/09/16 (土) 07:15:03 修正

十如是が説かれている『法華経』方便品第二は、お釈迦さまがご自身が覚り得た究極の境地を舎利弗に諭す場面です。

舎利佛よ、わたしが仏に成って以来、いろいろな因縁や種々の譬喩を使い、広く教えを述べ、真実の教えに導くための仮にとる数え切れないほどの便宜的な手段を使って、多くの人々を仏道に導き、諸々の執着から離れさせた。理由は何故かというと、如来は、真実の教えに導くために仮にとる便宜的な手段や、事物に対する正しい認識や、悟りに至らせる方法をすでに身に付けているからだ。

舎利佛よ、如来の事物に対する正しい認識は、広大で奥深く、容易に理解が及ばない。それは、無量であり、何ものにもとらわれず、力があって、畏れるところなく、静かな瞑想の禅定であり、煩悩の束縛から解き放たれる解脱である。心を集中した静かな状態で、深く限界のない境地に入り、かつてない教えを体得し成就したのである。

舎利佛よ、如来は、巧みに種々に物事を良く分析し、巧みに諸々の教えを説き、言動は柔軟で人々の心を励まし喜びを与える。舎利佛よ、要約して言うならば、計り知れないほど多くの、しかも未だかつて示さなかった教えを、仏はことごとく身に付けている。
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ここまで説明してお釈迦さまは舎利弗に告げます。
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止めよう。舎利佛よ。再びこの教えを説く意思はない。
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「えええ! なんで~」と舎利弗は思ったことでしょう。

お釈迦さまはその訳を次のように説明されます。
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理由は何故かというと、仏が身に付けているこの教えは、第一に優れ、類のない、理解しがたい教えであるからだ。ただ仏と仏だけが、あらゆる事物や現象や存在の、あるがままの真実の姿かたちを、究めつくすことができるのだ。
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この言葉が意味するところは、お釈迦さまが伝えたい内容は言葉では伝えられない内容であるということです。なぜならそれは人間の概念を遥かに超えた仏と仏にしか伝わらない究極の法だからです。

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