法介の『ゆゆしき世界』

間違いだらけの仏教の常識 / 46

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法介 2023/09/10 (日) 07:58:41 修正

大正大学仏教学研究科の塩入 法道 教授の下記論文で、

中国初期禅観思想における首樗厳三昧について
https://ja.wikipedia.org/wiki/信濃国分寺

塩入教授は「首樗厳三昧」を次のように紹介されています。

首楊厳三昧は勇伏三昧、健相三昧などとも訳され、古来多くの三昧の中でも特に重視されていた三昧である。この三昧はその名を冠した『首榜厳三昧経』に詳説されているが、『大智度論』等にも重要な三昧として度々言及されている。また『首樗厳三昧経』の思想は『般若経』『十地経』『維摩経』と密接な関係にあり、『法華経』『浬薬経』にも影響を与えている首樗厳三昧の特徴は般若空観を思想的背景にもちながら、理念としての空観にとどまらずこれを積極的に実践に適応させているところにある

天台宗「信濃国分寺」の住職でもあられる塩入教授は更に、

つまりこの三昧は高次の菩薩の三昧であり、凡ての禅観、三昧を摂し、いかなる行為中にあっても常に六波羅蜜を心にかけ、衆生を教化していくものであり、明らかに大乗菩薩の禅観である。

と述べられております。しかし首樗厳三昧の具体的実践については僧伝の類にもあまり記述がなぐ、詳細は知ることができないと言い、この三昧がどのように中国人僧に受容され、実践されたかをより具体的に知るには、南岳慧思つまり天台智顗の師匠である南岳大師が顕した『随自意三昧』や『立誓願文』を見なければならないと述べられ、それらの文献をもとに次のような文章で南岳大師の考えをまとめられておられます。

(南岳慧思は)首榜厳三昧に入るためには随自意三昧を修行しなければならないと主張している。首樗厳三昧と随自意三昧は同二のものと言ってもよいが、般舟三昧とともに大乗三昧として重視されてきた首榜厳三昧は諸三昧の極致であり、十地の菩薩しか達成できないとされているので、そこに到る具体的な方法を随自意三昧として説き、新学の菩薩のために提示したのである。つまり、首樗厳三昧の根本思想---(省略)---いかなる行為においても禅定にあり、しかも常に六波羅蜜を実践するということが理解できない者のために随自意三昧を説くというのである。慧思の随自意三昧の特色は次の通りである。

  1. 我々の外的行為を行、住、坐、眠、食、語の六種に分けその一つ一つを観心の契機とし、しかも六波羅蜜を説いて衆生の利益をはかる。
  2. 六根六境の感受作用についても観心の対象とする
  3. 未念心、欲念心の二心を観心の方法として用いる。
  4. 心の本源的状態を心性と呼び、八識説も展開する
  5. 出入息観、不浄観など小乗系の伝統的禅観もとり込む。
  6. 全体的に般若空観の思想が基調になっている
  7. 『大智度論』等の所説の四念処観と関連が深い。

これらのうち2、3、4、5、7等は『首樗厳三昧経』には直接は説かれておらず、慧思の独創によると考えられる。

首樗厳三昧は、それが中国に伝わつて以来、中国仏教の禅観の展開に多大な影響を与えた。そして傅翁や慧思、さらに本論では触れていないが、天台智顕や後の禅宗の人々の実践思想を生み出す源泉のひとつになったことは確かである。

『佛説首楞嚴三昧經』
https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=0642_,15,0629b12&key=佛説首楞嚴三昧經卷上&ktn=&mode2=2

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