法介
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2023/09/09 (土) 08:31:34
16観法では、第9の観から第12の観までが第三時における法輪となりますが、「第9の観」で注目すべき点はここで「念仏三昧」という言葉が出て来るという事です。
この事を見るものは、すなはち十方の一切の諸仏を見たてまつる。諸仏を見たてまつるをもつてのゆゑに念仏三昧と名づく。
「念仏三昧」について説かれている初期仏典に支婁迦讖訳の『般舟三昧経』がありまして、
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DB/0048/DB00480L017.pdf
内容を見てみると解りますが、これは「瞑想」ではなく「観法」となっております。瞑想は、止と観とからなりますが、その内容はまず「サマタ瞑想」で五蘊の働きを次第に止滅させ、意識を表層の第六意識から深層の第七意識へ移行させます。そこからは「ヴィパッサナー瞑想」で仏の意識を観じ取っていきます。いわゆる上座部が行う「九次第定」の瞑想がこれです。
それに対し三昧という観法については、澤﨑論文で簡素に紹介されておりますので参照されてみては如何でしょう。
『大智度論』における般舟三昧と首楞厳三昧の関係(澤﨑 瑞央)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/69/2/69_761/_pdf
(あと話しておく内容)
(観音菩薩が顕れる)
(念仏三昧でこの領域に入った阿羅漢が『般若心経』の説法を聴聞したのであろう。)
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