声聞衆が習得した「戒・定・慧」の三学と、縁覚衆が帰依した「仏・法・僧」の三法の相違についてお話します。
学問と言いますのは誰もが理解し納得しうるものでなければなりませんので「客観性」にもとづいた内容でなければなりません。仏門に入りながらも未だ実体思想から抜けきらない声聞という境涯に対し、お釈迦さまは客観性をもって教えを示されます。そこでの教は戒律と禅定であり、それらを習得し八正道を歩むことで真理としての智慧を修学していきます。
声聞という境涯はまだまだ凡夫としての性分(客観視)が強く働いておりますので、実体を空じる行法が凡夫の概念に即した形(学問)で説かれたということです。
戒=仮(実体に即した修行)
定=空(実体を空じる修行)
慧=中(実体における真理)
では、縁覚衆が帰依した「仏・法・僧」の三法はと言いますと、「仏の空観」に意識を置いた『般若心経』の教えが示す以下の諸法の内容となります。
僧(仮観)=「色即是空」(順観)
仏(空観)=「空即是色」(逆観)
法(中観)=「色即是空 空即是色」
学問を語るのが学者です。法を語るのが僧侶(仏法者)です。
学者さん=客観性にもとづく主観の見解(客観思考)
お坊さん=客観 → 主観 → 空観 → 中観(四観思考=四諦)
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